世界が見つめた「昭和天皇の大喪の礼」 - 当時の様子と世界の反応

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2010/07/10(土)
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大喪の礼(たいそうのれい)とは、皇室典範第25条に基づき、国の儀式として営まれる天皇の葬儀

概要

大喪の礼は、国(内閣が主催)の儀式として営まれる天皇の葬儀である。皇室の儀式として営まれる天皇の葬儀である「天皇大喪儀」と区別される。日本国憲法20条3項が政教分離原則を定めることから、国家の宗教的中立性を保つため、国の儀式である「大喪の礼」は、特定の宗教による儀式とされない。これに対して、皇室の私的な儀式とされた「天皇大喪儀」は、皇室祭祀神道儀礼に則って執り行われる。

このような政教分離原則に基づく区別は、1989年(平成元年)2月24日に行われた昭和天皇葬儀のときに定められた。昭和天皇葬儀では、皇居から葬場が設営された新宿御苑までの葬列、葬場における儀式の一部、新宿御苑から墓所が置かれる武蔵陵墓地までの葬列が、大喪の礼とされた(平成元年内閣告示第4号「昭和天皇大喪の礼の細目に関する件」)。葬場で行われる一連の儀式では、まず、皇室の儀式である「天皇大喪儀」の一部の「斂葬の儀」(埋葬当日の儀式)のうち「葬場殿の儀」までが執り行われた。その後、葬場から鳥居等の宗教的要素を持つものを運び出し、引き続いて国の儀式である「大喪の礼」が執り行われた。また、武蔵陵墓地では、葬列の到着までが大喪の礼とされ、引き続いて皇室の儀式である「天皇大喪儀」の「斂葬の儀」のうち「陵所の儀」が執り行われた。

昭和天皇の大喪の礼

1989 年(昭和64年)1月 7日に崩御した昭和天皇の大喪の礼は、同年(平成元年)2 月24日に、内閣の主催(大喪の礼委員会委員長・竹下登内閣総理大臣)により行われた。

大喪の礼は、当日午前9時35分に、昭和天皇の霊柩を乗せた轜車(じしゃ。霊柩車)を中心として組まれた葬列(車30台、サイドカー30台の車列、全長約800m)が、宮内庁楽部による雅楽「宗明楽」(そうめいらく)と陸上自衛隊による21発の弔砲に送られて、冷たい雨の降る皇居正門を出発することに始まった。

葬列は、葬送曲「哀の極」(かなしみのきわみ)の奏楽の中、桜田門を通り、沿道に集まった20万人の人々の間を進み、国会議事堂正門前、憲政記念館前、三宅坂、赤坂見附、青山一丁目、外苑前、青山三丁目を経て、新宿御苑の葬場総門まで到着した。到着後、昭和天皇の霊柩は轜車から葱華輦(そうかれん。天皇が用いる屋上にネギ坊主(葱華)形の吉祥飾りを着けた輿)に遷され、鈍色の衣冠単という古式の装束を着けた皇宮護衛官が輿丁としてこれを担ぐ徒歩列が組まれた。徒歩列は、雅楽が奏される中、白木造りの葬場殿に入り、霊輦(霊柩が納められた葱華輦)を安置した。

ここで一旦、幔門(門に見立てられた黒一色の幔幕)が閉じられて鳥居などが設置され、国の儀式である「大喪の礼」から皇室の儀式である「天皇大喪儀」となり、「斂葬の儀」(埋葬当日の儀式)のうち「葬場殿の儀」が執り行われることとなった。「葬場殿の儀」では、奠饌幣(幣帛を奉じる神道儀礼)や天皇の拝礼、天皇による「御誄」(おんるい、弔辞)の奏上、皇后を始めとする皇族や親族の拝礼が厳やかに営まれた。

明仁謹んで
御父昭和天皇の御霊に申し上げます。
崩御あそばされてより、哀痛は尽きることなく、温容はまのあたりに在ってひとときも忘れることができません。
櫬殿(しんでん)に、また殯宮(ひんきゅう)におまつり申し上げ、霊前にぬかずいて涙すること四十余日、無常の時は流れて、はや斂葬の日を迎え、轜車にしたがって、今ここにまいりました。
顧みれば、さきに御病あつくなられるや、御平癒を祈るあまたの人々の真心が国の内外から寄せられました。今また葬儀にあたり、国内各界の代表はもとより、世界各国、国際機関を代表する人々が集い、おわかれのかなしみを共にいたしております。
皇位に在られること六十有余年、ひたすら国民の幸福と平和を祈念され、未曾有の昭和激動の時代を、国民と苦楽を共にしつつ歩まれた御姿は、永く人々の胸に生き続けることと存じます。
こよなく慈しまれた山川に、草木に、春の色はようやくかえろうとするこのとき、空しく幽明を隔てて、今を思い、昔をしのび、追慕の情はいよいよ切なるものがあります。
誠にかなしみの極みであります。

– 御誄(おんるい) 斂葬の儀 葬場殿の儀


「葬場殿の儀」が営まれた後、再び幔門が閉じられた後、憲法の政教分離に抵触するのを出来る限り避ける為、大真榊や鳥居等神道色の強い祭具を葬場殿から撤去し、国の儀式である「大喪の礼」が再開された。葬場殿における「大喪の礼」は、内閣官房長官・小渕恵三が「大喪の礼御式を挙行いたします。」と開式を告げることで始められた。次いで、天皇と皇后が葬場殿前に進み、正午から1分間の黙祷が行われた。黙祷の後、内閣総理大臣の竹下登を始めとした三権の長が拝礼の上で弔辞を述べ、外国元首・弔問使節の拝礼、参列者の一斉拝礼が行われ、葬場殿における「大喪の礼」は終了した。その後、午後1時40分から、再び葬列を組み、四谷四丁目、新宿三丁目、新宿四丁目、首都高速道路4号新宿線初台出入口、中央自動車道八王子インターチェンジを経て、午後3時15分に、陵所が置かれる武蔵陵墓地に着いた。陵所では再び徒歩列が組まれて、皇室の儀式として「陵所の儀」が営まれ、昭和天皇の霊柩が陵に納められた。この陵は、武蔵野陵と名付けられた。

大喪の礼の当日は、公休日となった(平成元年法律第4号「昭和天皇の大喪の礼の行われる日を休日とする法律」)、なお都心は雨であった。各地では弔旗・半旗が掲揚されたほか、全国のテレビ・ラジオ放送(NHK教育テレビ・NHKラジオ第二を除く)も終日報道特別番組が編成され、民間企業のCMは自粛し、公共広告機構(現:ACジャパン)のCMに差し替えられた。また、多くの公共施設が休館となり、多くのデパート・映画館なども休業した。

さらに詳しく → 大喪の礼



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タグ : 大喪の礼 昭和天皇 戦争責任 赤尾敏 皇室祭祀 神道儀礼 葬儀 崩御

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