在日韓国・朝鮮人の歴史

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2010/05/30(日)
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在日韓国・朝鮮人(ざいにちかんこくちょうせんじん)は、日本に定住する朝鮮民族のこと。場合によってそのうちの特別永住者を指すなど、範囲が変わることがあり、しばしば「在日」と短縮して用いられる。

概要

在日韓国・朝鮮人は、日本に在留する韓国・朝鮮籍(日本と国交の無い朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)籍ではないことに注意)外国人のことであり、日本国法務省入国管理局発表の統計によれば2008年末現在、日本に定住(連続90日以上滞在)し韓国・朝鮮籍外国人として外国人登録している者は589,239人、そのうちしばしば「在日」と略称される韓国・朝鮮籍特別永住者は416,309人となっている。また、朝鮮籍保持者は3-4万人とみられている。慶尚道、済州道など朝鮮半島南部に本籍を持つものが多く、北朝鮮地区に本籍を持つものは少ない。長年に渡り日本定住外国人の最大勢力であったが、帰化と死去による特別永住者の減少が続き、2007年度、急増する在日中国人を下回った。

併合時代に朝鮮から内地に渡航し、そのまま日本に定住した者、およびその子孫と、戦後、朝鮮戦争などの戦火から逃れるために、荒廃した朝鮮半島より日本に密航しそのまま戦後の混乱で特別永住資格を得た20万から40万と推定される密航者およびその子孫である特別永住者は、旧日本国籍保持者としての背景から日本の外国人の中で特殊な地位を占めている。

在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府がおこなった強制連行の結果」とする主張があるが、1959年に日本政府が発表し、2010年にも再確認された資料によれば、当時の在日朝鮮人総数61万人のうち徴用労務者は245人で、日本に居住している者は「犯罪者を除き、自由意思によって残留したものである」としている。また、2005年の日韓基本条約関係文書公開に伴う韓国政府に対する補償申請者は、2006年3月の時点で総受理数21万件のうち在日韓国人からは39人に留まっている。

呼称

韓国併合後、韓国、北朝鮮建国前後までは在日朝鮮人と呼ばれ、サンフランシスコ条約発効後は外国人登録の国籍欄に朝鮮と記入されていたが、その後日韓基本条約の締結に伴い韓国籍に切り替えたものが現れ、1970年代後半から1980年代にかけて「在日韓国・朝鮮人」がより広く普及・浸透するようになった。国籍によって在日朝鮮人または在日韓国人と区別されることもあり、また、韓国・北朝鮮それぞれの正統国家としての立場と深く関係して、在日韓国・朝鮮人全体を在日朝鮮人または在日韓国人と呼称することもある。韓国は1970年代から「朝鮮」の排除を進め、これ支持する在日本大韓民国民団(通称:韓国民団ないし民団)は「在日韓国人」(재일 한국인)であるべきだと主張し、これに対して北朝鮮とこれを支持する在日朝鮮人組織・在日本朝鮮人総聯合会(通称:朝鮮総連ないし総連)では、引きつづき日本人は「在日朝鮮人」(재일 조선인)と呼ぶべきだと主張している。

民団も総連も共に、日本に在住する朝鮮民族は全て自分達の団体および自分達が支持する国家に属するべきであり、呼称に関しても自分達が使用しているものを使用すべきであると主張しつづけている。一方、日本国としては韓国籍、朝鮮籍どちらであっても、すべて韓国籍と判断し韓国人として扱うということとなっている。これとは別に、国籍ではなく民族としてのアイデンティティから在日朝鮮人と呼ぶ場合もある。民族名(朝鮮民族)については、韓国では「韓民族」などと呼ばれる。

これら呼称に関する南北の争いを避け、国籍を問わない呼称として在日韓国・朝鮮人の他に在日コリアンという呼称がしばしば使われる。また、池東旭などによって、在日韓国・朝鮮人としてのアイデンティティを獲得しようとの呼掛け・主張の中で、日本に住む朝鮮半島由来の住民(日本国籍を持たない者も含む)の民族としての総称として、「コリアンジャパニーズ」などが提唱されて、在日韓国人である金城一紀や新井英一などが自称として用いている。「在日」とだけ表現する場合は在日外国人一般ではなく、在日韓国・朝鮮人(それもニューカマーを含まない特別永住者)を指すことが大半である。

韓国、北朝鮮においては、帰化者も含めて在日僑胞(チェイルキョッポ、재일 교포)または在日同胞(チェイルドンポ、재일 동포)と呼ばれ、1999年に「在外同胞法」を制定し兵役の義務を果たしていない在外永住者や外国籍の元韓国人でも韓国人(在外同胞)として認めるようになった韓国外交通商部の2009年在外同胞現況によると在日僑胞は91万2655人となっている(だたし、この中に在日朝鮮族は含まれていない。また中国政府の反対もあり、中国、旧ソ連の朝鮮族と朝鮮籍在日朝鮮人は在外同胞法の対象となっていない)。国籍上は日本人である場合や片親が日本人のハーフ(あるいはクォーター等)の日本国籍保持者であっても、一部の民族的なアイデンティティから在日韓国・朝鮮人を呼称することがある。

在日韓国・朝鮮人の性格には、来日・定住を始めた時期、出身地、定住する地域、本国での国籍によって大きな違いがあるといわれている。日韓基本条約締結による国交正常化後の1965年代以降に来日した韓国人を「ニューカマー」、それ以前から在留している在日韓国・朝鮮人やその子孫を「オールドカマー」と呼び、区別することもある。

韓国・朝鮮系日本人

民団統計によると、日本国籍を取得した韓国・朝鮮人の2008年末までの累計は296,168人となっている。

上述のように、在日韓国・朝鮮人は、日本政府の統計などでは、「日本に定住(連続90日以上滞在)し韓国・朝鮮籍外国人として外国人登録している人々の総称」をさす。 これに対して、帰化して日本国籍を取得した者は「韓国・朝鮮系日本人(コリアン・ジャパニーズ)」と呼ばれるのが自然だが、現実にはそのような用例は少ない。コリアン・ジャパニーズは1977年、坂中英徳によって在日の帰化を奨励する流れの中で用いられた。当初は「単一民族国家日本への同化を促すもの」として在日知識人から異論が唱えられたが、上記のように2000年ごろから「コリアン・ジャパニーズ」と自称したり、これらの自称を用いて日本へ帰化し日本の多民族国家化を奨励する池東旭、河炳旭、鄭大均などの(元)在日韓国・朝鮮人も出現している。2003年には、高槻むくげの会の李敬宰を会長とした「在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会」が発足、2005年には坂中を顧問に迎え特別永住者の帰化を押し進めている。総務省も2005年「多文化共生社会の推進に関する研究会」を発足、「多文化共生の推進に関する意見交換会」を設置しこの流れを推進している。

これら、「韓国・朝鮮系日本人」は在日韓国・朝鮮人とは区別されるのみならず、単に「日本人」であるとみなされる場合がほとんどであった。これは、日本に帰化した者にも朝鮮系という出自を言明する者が少なく、帰化した韓国・朝鮮人も日本人と自認する場合がほとんどだったこと。また、そう自認する者しか帰化しない時期が長くつづいたことがある。また、日本在住が数世代を経ていっそう日本人からは区別がつかなくなっていること、帰化がかつて手続き的な国籍取得ではなく民族的同化を求めるものであったこと(現在はそうではないという主張と、現在もそうであるという主張もある)、日本国籍を取得しながら韓国・朝鮮人を自認し表明する者がほとんど見られなかったことなどが関係している。しかし、1980年代末から1990年代にかけて、日本国籍を取得しながら民族的出自を明らかにする者も増えつつある。また、朝鮮系日本人を同胞視する在日韓国・朝鮮人も増えている。

歴史

日本政府は日本人が兵役についたために労働力が不足した戦時の数年間を除き、戦前戦後を通じて日本内地への渡航制限などにより朝鮮人の移入抑制策を取ったが、移入を止めることは出来なかった。

在日韓国・朝鮮人移入の背景

注:ここで述べる背景・経緯は、朝鮮の植民地時代・日本の敗戦以前から日本に居住する在日韓国・朝鮮人に関するものである。

韓国併合(日韓併合)以前から南部に住む朝鮮人は日本に流入しはじめており、留学生や季節労働者として働く朝鮮人が日本に在留していた。韓国併合以降はその数が急増した。内務省警保局統計は、1920年に約3万人、1930 年には約30万人の朝鮮人が在留していたとしている。

朝鮮人が日本に移入した要因として、以下の社会的変化が挙げられる。

* 朝鮮南部は人口密度が高い上に李氏朝鮮時代から生活水準が低かったため、生活水準の高い日本内地を目指した。
* 朝鮮における農業生産体制の再編

    o 吉田光男が1974年に出版した『韓国朝鮮の歴史と社会』によると、併合後の朝鮮では農村を含めた経済システムが再編され、特に1910年から1918年にかけて行われた土地調査事業によって植民地地主制が確立し、日本人地主と親日派朝鮮人地主へと土地所有権が移動した結果、土地を喪失した多くの農民が困窮し、離農・離村したことが日本への移住につながったとしている。また、産米増殖計画による米の増産と日本への過剰輸出が、朝鮮半島で1人当たりの米の供給量激減と米価の高騰を招き、小作農などの人々を困窮させ土地の収奪・農民の没落が進行し、日本への移住に拍車をかけたとする論もある。1985年に土地事業当時の公文書が大量に発見されてからは資料に基づいた研究がなされるようになり、 2004年には「日本による土地収奪論は神話である」と李栄薫‎が主張している。

    o 山本有造が1992年に出版した『日本植民地経済史研究』によると、土地調査事業によって所有者が判明せず、日本に収められた朝鮮の農地は全体の3%前後(多くても10%)であるとしている。

    o 李栄薫‎ソウル大学教授が2009年に出版した『大韓民国の物語 : 韓国の「国史」教科書を書き換えよ』によると、朝鮮全土484万町歩の土地の大部分が民有地、残りの12.7万町歩が国有地とされ、国有地も1924年までは日本人ではなく朝鮮人の小作人に有利な条件で払い下げられたとしており、土地収奪論は1955 年に東京大学留学中の李在茂によって作り出された話であるとしている。

* 日本における資本主義の発展によって労働力需要が高まったこと、国際競争力の源泉である低賃金労働力として朝鮮人労働力を必要としたことが挙げられる。これが朝鮮人の日本への移住を促進した。

* 1910年-1940年にかけて朝鮮では年平均1.3%の人口増加率を記録し、世界的に見て高い人口増加率が記録されている。

* 1910年-1940年にかけて朝鮮では年平均3.7%の経済成長率を記録し、世界恐慌下にあった海外とは異なり高度成長を遂げている。

日本政府は朝鮮人の流入による日本内地の犯罪増加や失業率上昇に悩まされ続けており、朝鮮人の日本内地への流入を抑制する目的で満洲や朝鮮半島の開発に力を入れた。

朝鮮人労働者の日本への移入は日中戦争および太平洋戦争(大東亜戦争)の勃発により増加の一途をたどった。併合当初に移入した朝鮮人は土建現場・鉱山・工場などで働く単身者が多くを占めていたが、次第に家族を呼び寄せたり家庭を持つなどして、日本に生活の拠点を置く人々が増えた。

1945 年8月終戦当時の在日朝鮮人の全人口は約210万人ほどとする報告もある。その9割以上が朝鮮半島南部出身者であった。このうちの多くが第二次世界大戦終戦前の10年間に渡航したと考えられている。

* 1934 年10月 岡田内閣は「朝鮮人移住対策ノ件」を閣議決定し、朝鮮人の移入を阻止するために朝鮮、満洲の開発と密航の取り締まりを強化。
* 1939 年9月 朝鮮総督府の事実上の公認のもと、民間業者による集団的な募集の開始
* 1942 年3月 朝鮮総督府朝鮮労務協会による官主導の労務者斡旋募集の開始(細かな地域ごとに人数を割り当て)
* 1944 年9月 日本政府が国民徴用令による徴用

1959 年に外務省は、朝鮮への国民徴用令適用による朝鮮人徴用は1944年9 月から下関-釜山間の運行が止まる1945年3 月までの7ヶ月間であり、また、戦時中に徴用労務者として来た朝鮮人の内、そのまま日本に留まった者は1959年時点で245人に過ぎず、日本に在住している朝鮮人は、「大半が自由意志で来日・在留した者」とする調査結果を発表している。

この時期は兵役により減少した日本での労働力を補うため、朝鮮半島からの民間雇用の自由化(1939年)、官斡旋による労務募集(1942年)により在日朝鮮人が急増したが、1944年9月から始まった朝鮮からの徴用による増加は第二次世界大戦の戦況の悪化もあってそれほど多くは無かった。1974年の法務省・編「在留外国人統計」では、朝鮮人の日本上陸は1941年 - 1944 年の間で1万4514人とされ、同統計上同時期までの朝鮮人63万8806人のうち来日時期不明が54万3174人であった。官斡旋等による朝鮮半島での労務募集の実態や日本国内での朝鮮人労働者の待遇・生活については、その人数や規模などを含めて、現在も議論が続いている。また、日本国内での労働に従事した朝鮮人の中には、「タコ部屋労働」のような、自由を奪われた状況に置かれた者も多数あった。

なお、2005年の日韓基本条約関係文書公開に伴う韓国政府に対する補償申請者は、2006年3月の時点で総受理数21万件のうち在日韓国人からは 39人に留まっており、これは樺太(サハリン)からの5996件に比べても極端に低い数となっている。

1945 年以降は、日本は戦災によって国土が荒廃し、食料不足になり占領国からの食糧援助に頼らざるを得なくなったが、戦災に遭わなかった朝鮮は日本統治時代には食料を輸出できるほどの生産性を備えるに至ったことなどから、1946年3 月までに在日朝鮮人のうち140万人の帰還希望者が日本政府の手配などにより朝鮮に帰還しているが、1948年から始まった済州島四・三事件や1950年に勃発した朝鮮戦争にともなう難民・密航者が日本に多数流入した。1945年に朝鮮半島に帰還したものの、その後に動乱を避けて再び日本に移入した者も多かった。彼らとその子孫も、オールドカマーのうちに入れられて考えられることが多い。

戦前の在日韓国・朝鮮人

韓国併合(日韓併合)により、日本による朝鮮半島の植民地化が進行していくのと並行して、朝鮮人は日本人による差別・蔑視の対象とされるようになった。要因は様々であるが、例えば、朝鮮語訛りの日本語を使う相手に対する偏見や、または彼らの順法意識や衛生知識の乏しさに起因する生活上のトラブルなどが原因とされる。朝鮮総督府は「『内地人(日本人)』による朝鮮人への差別的態度が朝鮮人の民族主義を育てている」と警告を発した。

朝鮮人に対する政策は、日本政府においても朝鮮総督府においても紆余曲折を経ている。戦時動員体制の強化にともない朝鮮人の動員を強める必要に迫られたころ、日本政府は内鮮一体のもと、日本人と朝鮮人を同じく扱う政策に傾いた。朝鮮人は旧来の日本国民(内地人)とは別個の法的身分に編入された。しかし、日本国民としては不完全ながら公民権の一部(選挙権、被選挙権、公務就任権など)を与えられた。「民族的出自によって差別的な不利益処分を受けることは原則としてありえない」という宣伝に、朝鮮の知識人が協力した(李光洙など)。

朝鮮出身者の中にも、日本国民として官公庁に勤務した者がいた。高等文官試験の受験資格も与えられており、キャリア官僚や裁判官になったものもいる(民団団長の権逸は元裁判官)。また、朴茂徳は創始改名が行われる前に東郷姓に改め、第二次大戦時の外務大臣を務めてる(もっとも、彼自身は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に島津義弘が連れかえった朝鮮人陶工の子孫である)。朝鮮人にも陸軍幼年学校や陸軍士官学校への入学資格が与えられ、日本陸軍の将軍・将校として日本兵を指揮した朝鮮人も多くいた。日本軍の将軍となった朝鮮人は洪思翊中将や李垠中将のように朝鮮名のままで日本軍に在職していた。

第二次世界大戦の終戦以前に行われた選挙では朝鮮名のままで立候補した者も存在し、実際に衆議院議員に当選した者(朴春琴)もいる。また、多くの朝鮮人も華族(朝鮮貴族)として貴族院議員に議席を持っていた。

朝鮮人のなかには皇族や李王家(李王世子暗殺未遂事件)を対象とした多数の暗殺未遂事件を引き起すものがあったため、関東大震災の際には「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる」との流言蜚語などにより、多数の朝鮮半島出身者が「不逞鮮人」とされて、自警団に虐殺される事件が起きた。

戦後の在日韓国・朝鮮人

帰国と滞在

戦後の在日韓国・朝鮮人は「第三国人」としてみなされるようになった。戦前・戦中から、在日韓国・朝鮮人の多くは日本の一般社会との交流に乏しく、港湾や鉱山、工場などでの労働によって生活していたため、日本語を巧く話すことはできず、生活基盤は脆弱であった。GHQの計画に従い、大部分の人々が終戦後故郷へ帰る選択肢はあったものの、約4分の1が戦後も日本に定住するに至ったことは、後に日本人と在日韓国・朝鮮人双方から「棄民政策」として批判された。

1945 年9月、在日本朝鮮留学生同盟が設立される。1945年10月15日に在日本朝鮮人連盟が設立され、1946年10 月3日には在日本朝鮮居留民団(現在日本大韓民国民団)が設立される。1946年11月10日、在日朝鮮人生活権擁護委員会を結成すると、朝鮮人に対する生活物資の優先配給を要求し、12月20日に皇居前広場で朝鮮人生活権擁護全国大会を開くと首相官邸を襲撃した(首相官邸デモ事件)。また、行政への脅迫によって米の二重三重配給を受けて密造酒を醸造するものが多く、神奈川税務署員殉職事件、高田ドブロク事件など税務署との衝突が多発し、職員に死傷者が出ることもあった。このため、1947年に国会に上程された「財務局及び税務署に在勤する政府職員に対する税務特別手当の支給に関する法律案」の趣旨説明で、法案に記載されている政府職員が事務の執行にあたり生命又は身体に著しい危険を及ぼす恐れがある場合とは、特殊な第三国人等に対する検査調査が該当するとしている。

また、覚醒剤密造の72%が在日韓国人によって行われた。1948年の浜松事件ではヤクザ、警官隊、占領軍との抗争が行われた。1949年4 月8日、連合国総司令部の意向で在日本朝鮮人連盟が解散させられる。1950年5月、在日本朝鮮留学生同盟では、北朝鮮派と韓国派との内部抗争によって死傷者がでる事件が起きた。1950年1月、祖国防衛隊が結成される。1951年1月、在日朝鮮統一民主戦線が結成される。1955年、在日本朝鮮人総聯合会が設立される。

朝鮮人の引揚に関しては、GHQと日本政府は引揚希望者を全員帰国させる方針であり、船便による具体的な送出人数に関してもGHQが指示を出している。また、日本国内(内地)の輸送に関しても具体的な指示が出ている。

朝鮮人の引き揚げは継続された。戦時中の徴用令によって日本に渡航し、1959年年の時点で日本に残っていた朝鮮人は、当時登録されていた在日朝鮮人約61万人のうち245人だった。

戦後の入国

戦後の大きな朝鮮人の日本移入の起因となった最初のものとして、1948年の済州島四・三事件がある。韓国政府による済州島民への虐殺は日本への難民/密航者を大量に生んだ。こうしたことから「朝鮮人には密航者が多い」との主張に結びつけられることもある。 日本政府は密入国者の摘発を行ったが、韓国政府は強制送還を拒否するとともに韓国が抑留した日本人の返還条件として密入国者を日本国内に解放するよう要求した。

阪神教育事件

戦後、「朝鮮人には民族教育が必要である」との主張に基づいて、日本各地に朝鮮人学級が設けられ、続いて朝鮮人学校が設置された。これに対して1948年に、GHQの意向により朝鮮学校閉鎖令が出され、阪神教育事件に発展した。朝鮮人が兵庫県庁に突入して閉鎖令を撤回させるなどしたため、アメリカ軍は非常事態宣言を出して朝鮮人1700人を逮捕した。王子朝鮮人学校事件など朝鮮人学校をめぐる事件も続発した。

朝鮮戦争

朝鮮戦争勃発後、在日朝鮮人は韓国側と北朝鮮側に分かれて反目し、下関事件、万来町事件、浅草米兵暴行事件、吹田事件など数々の大規模な騒乱事件や、枚方事件や親子爆弾事件などの工場襲撃事件を引き起こした。また、30万人の朝鮮人が日本共産党とともに武装蜂起し、「火炎瓶闘争」と呼ばれる暴力革命闘争を行い多数の警察官が死傷した。警察による朝鮮人部落への強制捜査には硫酸瓶や火炎瓶で対抗した。このため、1952 年に破壊活動防止法が制定され朝鮮総連は日本共産党とともに調査指定団体となっている。

第二次世界大戦終結後、在日朝鮮人は日本共産党とともにデモ活動などを積極的に行っていたため、1950年6月25日に朝鮮戦争が始まると共産主義者の処刑(保導連盟事件)を実行している韓国への帰国を躊躇するようになった。また、共産主義者ではなくとも韓国に帰国すれば韓国民として従軍しなければならなかった。6月29日、在日本大韓民国居留民団は義勇兵を募り6万名の志願者から選抜した2万名を韓国に送りだすことを発表した。韓国人647名、日本人150名の志願者が集まったものの、当初は韓国政府が受け入れを拒むなどの事態があったが、後に占領軍が必要としたため、韓国人志願者644名を派遣した(その後、義勇兵の一部には韓国政府による工作訓練が施され工作船で日本に潜入し、新潟日赤センター爆破未遂事件を引き起こした)。 

日本の主権回復

1952 年4月28日、連合軍の占領下にあった日本は日本国との平和条約の発行により主権を回復する。以降、韓国政府は日本国と韓国の間で政府間協定が結ばれていないとして在日朝鮮人の引き取りを拒否することになる。

法的地位の変遷

1952 年に日本国との平和条約が発効すると、在日韓国・朝鮮人は朝鮮半島に帰属する民族である事となり、結果的にこの時点で彼らは日本国籍を喪失した。

ここで国籍を喪失した者の範囲は、日本国との平和条約発効時(1952年4 月28日午後10時30分)において、朝鮮戸籍令の適用を受けていた者である。したがって、現国籍法施行(1950年7月1日)より前に、朝鮮に地域籍をもつ者と婚姻した内地籍を有した妻や朝鮮籍を有した父に認知されるまで内地籍を有していた子も日本国籍をその時点で喪失したことになる。

帰国運動

戦後、在日韓国・朝鮮人の帰国運動が盛り上がったのは、1958年の日本・北朝鮮赤十字会談の開催からである。「千里馬運動」を掲げて、多数の労働者を必要とした北朝鮮政府と、当時、生活保護受給者の半数を占めていた在日問題の解決を目指す日本政府、さらには在日韓国・朝鮮人にとって、それぞれの思惑が一致した結果とされる。また、共産主義者を弾圧している韓国に帰還することが困難な者にとっても北朝鮮は希望の地であった。このとき、帰国運動に参加した在日韓国・朝鮮人のほとんどは朝鮮半島南部、すなわち韓国政府が支配する地域の出身者であった。このこともまた、韓国政府による「棄民政策」として、後に様々な方面から批判されている。

日本における在日韓国・朝鮮人団体である在日本朝鮮人総連合会は、北朝鮮政府の指示のもとで在日韓国・朝鮮人の『地上の楽園』北朝鮮への帰国を、強力に勧誘・説得する活動を展開した。当時の韓国は朝鮮戦争による荒廃のため世界最貧国であったが、北朝鮮は国際協調によって共産諸国の支援を受けて発展を遂げ、在日朝鮮人へも支援金を送るほどであった。日本の新聞各社、また民間の研究機関「現代コリア研究所」(旧・日本朝鮮研究所、代表・佐藤勝巳)も、これに同調した。在日韓国人の犯罪発生率が日本人の十数倍に上ること、犯罪者や密入国した韓国人の送還を韓国政府が受け入れないこと、摘発された密入国者を日本国内へ解放するよう韓国政府から要求されるなどの治安上の問題や、在日韓国・朝鮮人をとりまく生活保護費の予算捻出に苦慮していた日本政府は、このキャンペーンに応じた。

当時の内閣総理大臣・岸信介は国会答弁で帰国運動の「人道性」を主張し、北朝鮮への帰国事業を受け入れた。韓国はこれを「北送」と呼んで非難し、韓国居留民団は「北送事業」への反対運動を展開した。韓国政府は日本に工作員を送り込み、テロ活動によって帰還事業の阻止を図った(新潟日赤センター爆破未遂事件)。また、「在日韓国・朝鮮人は強制連行された人々である」と主張するようになった。

大多数にとって出身地(故郷)ではない北朝鮮へ「帰国」した在日韓国・朝鮮人の生活は過酷なものであった。帰国者は北朝鮮においても出身成分による差別にさらされ、一部は強制労働に追いやられた。行方不明者が多く、処刑されたと言われている者も多い。在日韓国・朝鮮人の子弟であるほど、突然にスパイ容疑で強制収容所に送られるケースが多かったとの証言もある。一方、金日成国家主席の後継者となる金正日の妻となった高英姫のように栄達した例もあった。北朝鮮における待遇の実態が次第に在日韓国・朝鮮人社会へ伝わるにしたがって帰国者は急減し、1983 年に帰国者が0人となったことで「帰国運動」は事実上終結した。

現在では、帰国運動の際に在日韓国・朝鮮人と結婚して帰国運動の際に北朝鮮へ渡った「日本人妻」(一部「日本人夫」)の日本帰国も、日朝間で解決が必要な課題のひとつとなっている。ただし詳細は不明ながら、一時日本へ帰国したものの、再び北朝鮮へ渡る例もある。

近年では、テッサ・モリス=スズキがジュネーブの赤十字社資料から北朝鮮帰国運動の背景を明らかにしており、日本による追放政策としての側面を強調している。帰国者は北朝鮮における身分制度である出身成分の最下層に分類されている。

就業実態と経済活動

戦後の在日韓国・朝鮮人にとって、就職・就業が困難な時期もあった。いわゆる3K職場や水商売に就く者も多かった。また、暴力団員になる者もおり、指定暴力団会津小鉄会四代目会長・高山登久太郎は、朝日新聞社 『論座』(1996 年9月号 11頁)でのインタビューの中で、「ヤクザの世界に占める在日韓国・朝鮮人は三割程度ではないか、しかし自分のところは約二割だ」という内容のことを答えている。菅沼光弘・元公安調査庁調査第二部長は、指定暴力団・六代目山口組若頭高山清司から聞いた話とし、暴力団に占める在日韓国・朝鮮人の割合は30%を占めていると主張している。。

もっとも、ロッテの例を見るように、朝鮮系であるからといって日本での経済的な成功が絶対に不可能であった訳でもなく、今日では比較的高収入な職種に就く場合や、また知識階級に属する人々も少なくない。姜尚中東京大学教授のように韓国が占拠している竹島について韓国側に立って対日政策の指導を行ったり、東京大学大学院で博士号を取得したロケット開発権威の在日朝鮮人は在日本朝鮮人科学技術協会の顧問として日本の技術を不法に入手し、頻繁に北朝鮮に渡り技術指導を行い、ミサイル発射時には現地で立ち会うなど祖国に貢献している。

現在

今日、在日韓国・朝鮮人は、日本に民族的アイデンティティーを重視した独自のコミュニティーを形成する者、新たに形成することを志す者、帰化する者、日本人配偶者を得て同化する者、それらの中間的立場や混合的立場をとる者、と多様な生き方を見出している。

1994年以降、在日本大韓民国居留民団は、外国人地方参政権の獲得、国籍条項撤廃などの運動を強化するようになり、団体名を「仮住まいの意味としての「居留」という文字を名称からはずす」として在日本大韓民国民団に改め、日本国での居留ではなく定住を標榜する団体であることを明らかにした。

在日韓国・朝鮮人の諸組織・知識人・朝鮮学校からは、民族教育の必要性が主張されてきた。実際に、本名を名乗り自らのアイデンティティーを明確にすることで、在日韓国・朝鮮人が社会の中で認められるようになるケースも見られる。これに呼応して、行政側の対応にも変化が起こりつつある。朝鮮学校の卒業生は、各種学校卒のため、日本の学制から除外されているが、近年では国公立大学でも2004年前後から朝鮮学校の卒業を大学入学資格として認定する動きが生じている。

近年では在日韓国・朝鮮人であることを最初から・あるいは途中から明らかにして、本名で活動する有名人があらわれてきた。芸能人・スポーツ選手など日本人に触れやすい分野でも、在日韓国・朝鮮人の本名を見かけるケースが増えている。2002年FIFAワールドカップ日韓共催では両国間の友好を深めようとする動きが、メディアを中心に大きく展開された。一時、改善の動きも見えた北朝鮮との関係は、2003年ごろから拉致問題、核兵器保有問題の影響により、再び悪化している。

在日民族団体

オールドカマー在日韓国人とその子孫中心の全国的民族団体として、韓国を支持する在日本大韓民国民団(韓国民団ないし民団)と北朝鮮を支持する在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連ないし総連)がある。この他にも新宿区のコリアンタウンを中心とする東京都内在住のニューカマーが中心となった在日本韓国人連合会(韓人会)などがある。

在日民族産業

在日韓国・朝鮮人自営業者が多いパチンコや不動産、焼肉、韓国料理店などの飲食などは民族産業や在日産業と呼ばれることがある。これら自営業者に対して昭和四十年代に民族団体を通じた減税の動きが全国的にあったとされる。

パチンコ業界は2007年7月からパチスロが射幸性の高い「4号機」から低く抑えられた「5号機」に移行し、ファン離れが起きたことに加え、貸金業の法律改正により消費者金融を利用してパチンコをしていた客の足が遠のいた。大型チェーン店は「1円パチンコ」を導入して新規の顧客を開拓している。

焼肉業界は在日同胞が生み、育てたとも言われ、全国焼肉協会会長は朴(新井)泰道叙々苑社長が、キムチ・焼肉・韓国料理店・居酒屋を支援する韓食ネット協議会(旧キムチネット協議会)会長は朴健市焼肉文化社代表が勤める。焼肉業界は2003年の米国産牛肉の輸入停止問題では大きな影響を受けた。

1970年代後半、韓国から日本に技術者が進出するようになった貴金属業界もニューカマー在日韓国人が多く、東京都内には在日韓国人らでつくる在日韓国人貴金属協会もある。

1982年に在日韓国人が本国に設立した韓国初の純民間資本銀行である新韓銀行は、新韓銀行東京・大阪・福岡支店を譲り受けて2009年、日本法人SBJ 銀行の営業を開始した。

在日韓国・朝鮮商工人に関する調査

1982年に行われた東京在住の在日韓国青年商工人を対象に経営している業種、従業員の数、企業規模、企業承継の問題、企業の継続性、韓国への投資に関する意見および今後の計画などに対する質問調査では、在京企業家は30代以上が多く、飲食、パチンコ、金融・不動産等主にサービス業に従事するというケースが多かった。また、他業種と兼業する場合は少なく、年間売上額が1億円未満の零細自営業を運営する企業家が多かった。また自身で起業した例は 65.5%、両親からの承継が27.6%であった。また、1982年に在日韓国商工人1,103人を対象に行われた同様な調査でも全般的な調査結果は同じであったが、経営上の問題として、人材不足、利益減少、税金問題等が指摘された。

1,059社の企業家を対象として2004年11月から2005年2月まで行った調査では、郵送調査により62人(回収率5.9%)、面接調査は 72人の企業家から回答があり合計128人の在日韓国朝鮮人企業家を対象に量的・質的分析が行われた。この中で、在日韓国朝鮮人企業は小・中規模零細企業が多いと考えられるが、従業員が1,000人以上の企業も存在していること、企業家の最終学歴は、中学・高校(25.8%)、専門大学(6.2%)、大学・大学院(64.9%)、その他無学(3.1%)であり、教育水準は低いという既存の研究結果と異なり、高学歴化が進みつつあることがわかり、業種別分布では、パチンコ産業(23.4%)、不動産・金融業(21.9%)、飲食・宿泊業(16.4%)が上位3業種となったが、3世の場合、知識産業職種が多く見られる。

経営活動上の問題点としては、過当競争が最も大きな問題であるとされた。金融機関の利用状況は、民団と総連系の銀行が倒産したため、日本の銀行の利用率が9割以上に上った。また、韓国への投資については、14.8%だけが投資経験があると答え、投資の成果については63.1%が満足していおり、韓国への将来的な投資の可能性に関しては21.1%だけが関心があるとした。

一方、失敗の原因や関心の低い理由として、家族や親戚への頼りすぎ、詐欺、あるいは同業者からの裏切り、約束に対する概念や信頼関係をとても大事する日本人との差、情報不足を挙げた。また、世界韓商大会のような世界韓商ネットワークの構築は、積極的に、あるいは状況を見て参加したい、が86.3%だが、日本だけに限定されたビジネスであるパチンコ業者の中には、必要性を感じないと指摘する者もいた。全体的に在日韓国朝鮮人企業家の意識が日本人化してきており、世界韓商ネットワークを祖国への投資機会としてではなく世界進出への足がかりにしたいとの期待が読み取れる。

朝鮮新報は2001年から商工連合会経済研究室編集による「同胞経済研究」を発行している(同サイトからは2002 年冬・第7号までの発行が確認できる)。

在日韓国・朝鮮人の文化

在日朝鮮人文学

在日朝鮮人文学は日本へ渡った朝鮮人によって書かれた文学作品の総称であり、主に明治以降の文学に対して用いられる。日本語による在日韓国朝鮮人の文学は、自民族の言葉ではないという理由のために、朝鮮文学か日本文学かという問題が、とりもなおさず在日自身の中から提起されずにはいられなかった。ここには民族と文学、言語と文学をめぐる多くの問題が内在しているが、1945年以後に日本語による韓国朝鮮人作家の作品は「朝鮮民族の文学であると同時にまた日本文学の1つ」であるという広い視点からの評価が、日本の文学界の一般的な了解になっている。日本語による在日韓国朝鮮人の文学活動は、文学の国籍はその言語に帰属するという考え方に拘束されることもなく、民族的かつ国際的な広がりの下で新たな画期と自信とに支えられて、作者それぞれの視点から在日韓国朝鮮人として生きる姿勢と意味、祖国や同胞組織とのかかわりなどが問題にされつつ、多くの優れた達成を示しながら今日に至っている。

在日朝鮮語

現時点で在日韓国・朝鮮人永住者によって話される言語は主に日本語であり、朝鮮語を話すものは少数派である。母語が日本語である日本で生まれ育った世代は、朝鮮語を学ぶにしても第二言語として学ぶことになり、彼らの使う朝鮮語は日本語の影響を受けることとなる。この結果、現在日本生まれの世代が中心となった在日韓国・朝鮮人社会では、時に朝鮮語が使われる時も朝鮮半島のそれとは大きな差異を有する独特の在日朝鮮語が使用されることになった。

ホルモン焼き、焼肉

ホルモン焼き、焼肉の始めたのは朝鮮人であるという説がある。『別冊BUBKA』2006年の説によると、戦前に捨てるか肥料にするかしていた臓物肉を朝鮮人女工がもらってきて焼いて食べたのがホルモン焼きの始まりであり、ホルモンを焼いて食べる習慣は朝鮮にはなく、ホルモン焼きは日本で始まった。そして戦後、ホルモン焼きの屋台が「ホルモン屋」や「朝鮮料理屋」という名称になって行く中、臓物だけでなく精肉を用いる店ができ、この在日朝鮮人女性が経営する明月館が焼肉の祖であるとする。さらに「焼肉」と呼称するようになったのは1965年に日韓基本条約が結ばれて以降、韓国籍を取得する者が増え、在日朝鮮人の主張した朝鮮料理屋と在日韓国人の主張した韓国料理屋との呼称論争を収拾する案としてプルコギを直訳した「焼肉」が用いられることとなったのだとの説を主張している。この他に、焼肉のたれもヤンニョム(薬念)の影響が見られる(1968年エバラ食品から発売された商品名は「焼肉のたれ・朝鮮風」)。焼肉業界は長らく在日韓国朝鮮人の民族産業であると認識されてきた。

在日韓国・朝鮮人を取り巻く諸論点

徴用・強制連行と渡航

在日韓国・朝鮮人が日本に移入してきたのは、「戦前または戦時下の日本政府による徴用/強制連行」によるものと語るものもいる。また、同様の認識が漠然としたイメージのまま流布された時期がある。1959年には日本政府は245人の徴用労務者を除く在日朝鮮人は犯罪者を除き自由意思で残留した者とその子孫であることを明らかにしている。1990年代に入って朝鮮人被害者への戦後補償問題が日本国内で国民的論争課題になると、「徴用/強制連行」に関してもさまざまな角度から議論がなされた。

このことは、在日韓国・朝鮮人団体である在日本大韓民国民団の子団体、在日本大韓民国青年会の中央本部が、在日1世世代に対する聞き取り調査の結果をまとめ1988 年に刊行した『アボジ聞かせて あの日のことを -- 我々の歴史を取り戻す運動報告書 -- 』にも、渡日理由のアンケート結果として、「徴兵・徴用13.3%」と明記されており、「その他20.2%」、「不明0.2%」を除いたとしても「経済的理由39.6%」「結婚・親族との同居17.3%」「留学9.5%」と65%以上が自らの意思で渡航してきたことがわかる。尚、このアンケートは渡航時12歳未満だったものは含まれておらず、これを含めるとさらに徴兵・徴用による渡航者の割合は減ることになる。なお、2005年の日韓基本条約関係文書公開に伴う韓国政府に対する補償申請者は、2006年3月の時点で在日韓国人からは39人に留まっている。

自民党の高市早苗衆議院議員からの資料請求に応じて外務省が提示した資料では、戦争中の徴用令によって日本に渡航し、1959年時点で日本に残っていた朝鮮人は在日朝鮮人 61万人のうち245人(いずれも自由意志によって日本に留まった、または日本生まれ)で、本人の意思に反して日本に連行された朝鮮人は犯罪者を除き1人もいないとしている。 

通名

日本式の姓名、「通名(通称名)」を名乗って朝鮮半島系であることを隠す人々が多く存在する。但し近年では、民族としてのアイデンティティーを取り戻す意味で、朝鮮式の姓名を名乗る者が徐々に増えてきている。これには在日韓国・朝鮮人たちによる啓蒙活動に加えて、韓国の近年における経済発展によって日本での韓国の評価が上昇してきたことや、日本と韓国の文化交流が拡大発展を続けていることも無縁ではないと思われる。2009年の事例では、弾道ミサイルの発射台に転用できるトレーラーを日本から北朝鮮に不正輸出した容疑者が逮捕された北朝鮮タンクローリー不正輸出事件の報道で確認することができる。在日本大韓民国民団の発表では、韓国・朝鮮式の本名で暮らす人は全体では1割強にとどまり、3人に1人は「状況により使い分ける」としていることを明らかにした。

社会保障問題

在日韓国・朝鮮人に対する社会保障についても、多くの議論がある。

外国人の生活保護受給者に、生活保護にかかる行政行為等の行政処分についての異議申立権(審査請求及び再審査請求権)を認めなかったとしても、当該外国人の法的利益が侵害されたとはいえないが、先進国の中で、永住権を持つ場合においてははほとんどの国が外国籍の者に生活保護および社会保障を国籍保有者と区別をつけずにを支給する。ただし日本のように日本国籍を持つものが生活保護を受けられないことがあるにも関わらず外国人には生活保護が受けられるという状況はない。1950 年には長田区役所襲撃事件、1951年には下里村役場集団恐喝事件、1952年には万来町事件などの生活保護費の受給もしくは増額を要求する行政機関への騒乱事件が引き起こされている。1952年には、ウトロ地区を始めとする各地での行政への脅迫による生活保護費の受給が国会で問題とされた。

ある観点では、生活保護の受給対象者とすることへの異議、また認定の方法・基準への異議が出されている。例えば、在日韓国・朝鮮人の生活保護受給率が日本人より多いことから、これを不当であると考え、日本国による生活保護負担を強調する論調がある。実際に、日本の裁判所は「憲法の要請する社会権の保障は、国家による国民の保護の義務を本来の形態とするため、外国人である在日韓国・朝鮮人を保護する義務はその国籍国にある」とする立場をとっており、 1950年以降の生活保護法には第一条において「国民」との用語が加えられたが、2007年現在、日本政府は598,073人の外国籍者に生活保護を支給している。

2010年、韓国人が養子縁組した子供554人分の子ども手当をタイ政府発行の証明書を提出して申請したが、厚生労働省は不許可とする指導を行っており、孤児を救おうとした韓国人に支給しようとしないのは差別ではないかとの指摘もある。

在日韓国・朝鮮人無年金問題

現在、日本政府は「年金など社会保障の責任は国籍の属する本国が行うべき」という立場から、年金を払い込んでいなかった在日韓国・朝鮮人に対して年金支給を行っていない。この日本政府の見解に対して「海外在住の日本人に日本政府は年金を支払っていない」と糾弾し、在日韓国・朝鮮人に対しても年金を支給するように要求している。「日本国籍を有する者で海外に居住する20歳以上65歳未満の者」は日本の国民年金に任意加入することができる。いくつかの地方自治体では法律上年金に加入できなかった在日外国人について福祉給付金を支給する制度を設けている。

北朝鮮問題との関連

北朝鮮問題への注目(拉致事件、核保有問題など)にともなって、在日韓国・朝鮮人、とりわけ朝鮮籍の者への圧力が高まったことに対し、在日韓国・朝鮮人の立場を『親族を北朝鮮政府に人質同然にされ、不本意ながら北朝鮮政府の意のままに操られている人たち』として同情視する向きもある。

一方で「在日朝鮮人は北朝鮮国政の選挙権・被選挙権ともに有しており、在日朝鮮人からは朝鮮総連議長や朝鮮大学校校長などの6名が北朝鮮の国会議員に選ばれており、日本からの送金もかなりの額にのぼるため、在日朝鮮人側の責任が皆無とは言い難い」との批判もある。また、朝鮮総連は本国の見解に乗っ取り、拉致問題を「解決済み」、「日本側にこそ問題がある」との立場を固守している。北朝鮮のミサイル発射に関連してチマチョゴリ切り裂き事件なども起きた。

在日韓国・朝鮮人は北朝鮮の核兵器や生物兵器などの大量破壊兵器開発のために輸出規制されている物品を北朝鮮に不法に輸出する北朝鮮タンクローリー不正輸出事件や凍結乾燥機不正輸出事件などの事件を引き起こしている。

在日韓国・朝鮮人の参政権

在日韓国人・朝鮮人には二つの参政権論争が存在する。韓国および北朝鮮における本国参政権と、日本における地方参政権である。韓国人は本国在外選挙権を、北朝鮮人は在外選挙権・被選挙権双方を有する。

韓国においては、兵役、納税義務などが免除される在外国民に住民登録要件不備を理由に参政権を与えないことの違憲性についての議論が行われてきた。本国参政権のみの獲得を目指す在日以外の在外韓国人社会と違い、在日韓国社会は日本での地方参政権の獲得も目指している。日本国内においては地方参政権獲得の議論が盛んであることに対して、本国参政権についての議論はあまり活発ではなく、欧米の在外韓国人の一部は、本国参政権獲得議論に消極的な在日社会を指して「在日韓国人はどうしてアクションを起こさないのか。民団の消極的姿勢は、参政権付与反対と言っているに等しい」と、非難する声も見られた。

一方朝鮮総連は、日本の外国人参政権は日本政府による同化政策に繋がるものだとして外国人参政権の付与に反対している。また、民団中央の反民族策動を暴露糾弾し、「地方参政権獲得ごっこ」を徹底的に排撃する政治工作に注力するよう指示しているとされる。

在日韓国人の本国参政権

韓国における在外投票権の対象は、短期滞留者だけに限るか、永住権保有者までを含むようにすべきかで論争があった。これは韓国民短期滞留者はたまたま海外に在住している自国民であり、国民の権利として不在者投票権を要求することに国民的合意が得られやすいことに対し、永住権保有者は、兵役、納税義務などが免除されており、住民登録要件不備を理由に参政権を付与することには慎重だった(在日永住権者は35歳まで徴兵が延期され、36歳になると兵役の義務はなくなる。1962年10月、「在外国民の兵役免除」の項目が兵役法に法律第1163として追加された)。 一方、大韓民国憲法#第二章 国民の権利および義務第24条は「すべての国民は選挙権を持つ」としており、これに準拠して永住権保有者にも参政権を保証するべきとの議論が続いていた。

これに対し、韓国憲法裁判所は2007年5月、海外の駐在員や留学生はもちろん、外国での永住権者も韓国の国籍を持ってさえいれば、韓国国内に住民登録がなくても選挙権と国民投票権を与えるべきという決定を下し、1999年3月の決定を覆した。また、憲法裁判所は2008年12月31日までに国会で必要な法改正を行うよう命じた。この決定の理由として「情報通信技術の発達」や「経済力の伸張」など10項目を挙げた。また、納税や国防の義務が免除されていることを問題とする考えについても、大韓民国憲法は参政権や平等権などの国民の基本権行使を、納税と国防の義務に対する反対給付として想定していない上、在外国民であっても兵役の義務を果たすことができ、また兵役が義務付けられていない女性も投票権を有しているとする原告の訴えを認めこれを退けた。

これらの動きを受けて、海外短期滞留者をモデルとした不在者投票の準備作業が行われた。 2006年12月には外交通商部と共同で50以上の海外公館で模擬投票を実施し、参加者の 80%は「投票権を行使する」と回答した。この場合、実際の日本地域の短期滞留者は82000人になり、そのうち21000人が投票すると推算された。

与野党とも在外韓国人に参政権を付与する方向では一致しており、2007年2月末までに中央選挙管理委員会や与野党から5つの選挙法改正案が韓国国会に上程された。しかし、在外投票の導入方法をめぐって紛糾し、当初目指していた2007年の大統領選挙からの在外投票導入は困難となった。海外永住者は一般的に保守傾向が強いとされており、これを取り込みたい保守派であるハンナラ党と、若年層にも支持基盤を持ち留学生や、外交官などの一時滞留者たちを取り込みたいウリ党の党争によるものと指摘された。

2009年2月の韓国国会は法案を可決して2012年の国政選挙から投票できる見通しとなったが、祖国での参政権に対する在日社会の関心は低く、そのメリットを知ってもらおうと、原告団(李健雨)を起源とした兵庫と大阪の在日韓国人で「在日韓国人本国参政権連絡準備会」を設立しPR活動を行っている。

朝鮮籍および、北朝鮮籍朝鮮人の本国参政権

朝鮮籍の17歳以上の在日朝鮮人公民は海外にいる者も北朝鮮国政への選挙権、被選挙権ともに有しているため、2009年3 月の北朝鮮最高人民会議代議員選挙では、在日朝鮮人からは徐萬述朝鮮総聯中央本部議長をはじめとする朝鮮総連幹部や朝鮮大学校校長などの6名が代議員(国会議員)に選出されている。

地方参政権問題

在日本大韓民国民団は、2009年8 月30日投票の第45回衆議院議員総選挙から外国人参政権付与を掲げている民主党候補者らを全力で支援しており、民団の集会を通じて在日韓国人へ候補者当選へ抜けての全力支援を指導している。なお、朝鮮総連は在日朝鮮人はれっきとした独立国の海外公民であるので、韓国政府の棄民政策や、戦前の日本政府による同化政策に繋がるものだとして外国人参政権の付与に反対である。

李鍾元立教大学法学部教授は、日本の右傾化に対処する方法の一つとして、在日韓国人の地方参政権獲得とともに日本社会を内側から変化させる方法を指摘し、韓国が先に永住外国人に地方参政権を付与した措置を高く評価した。

在日韓国人地方参政権獲得運動の支援の一環として韓国で外国人参政権付与が行われるなど、韓国においてもこの運動は支持されている。また、地方参政権問題は今まで抑圧されてきた在日韓国人同胞の恨をはらす契機とも見ることができ、日本政府の歴史問題解決への前向きの姿勢の表明として歓迎する意見もある。

遊技業界

日本全国1万7000店のパチンコオーナーの国籍

韓国籍 50%
朝鮮籍 30-40%
日本籍 5%
華僑 5%

パチンコ産業に携わっている就業者の在日韓国・朝鮮人比率は他産業より高く、2007年12月27日の中央日報の記事によると、業界経営の90%ほどを在日韓国人と朝鮮総連系が掌握しており、民団傘下の「在日韓国商工会議所」では、所属する1万社のうち約7割がパチンコ業に係わっている。パチンコ最大手のマルハンの創業者が元在日韓国人1世の韓昌祐であることからもパチンコ業界内の在日韓国・朝鮮人の立場の強さが伺える。このため「パチンコはその実体が賭博であるにもかかわらず賭博として規制されておらず、事業で生まれた収益が北朝鮮へ送金され独裁体制やミサイル・核開発を支えている」という指摘がある。

2008年、在日本大韓民国民団顧問のチョン・ドンファは、「朝鮮総連はパチンコ事業で資金を集めたが、民団はどのようにしたのか?」と記者に問われると「民団の主な事業もパチンコだ。朝鮮総連は収入の全てを組職化して北に送った。」と証言している。ランド研究所上級経済顧問のチャールズ・ウォルフ・ジュニアによると、日本から北朝鮮への送金は年200億円以上で、その主な資金源はパチンコであり、30兆円産業から朝鮮人事業主が手にした純収入分の2%が合法、非合法を問わず送金されたとするとそれだけで200億円を超えると推定している。

2007年10月からの5号機 (パチスロ)への完全移行に伴い、在日韓国人商工業の基盤ともいえる遊技業界の苦戦が予想されている。

韓国では賭博メダルチギ「海物語」の大流行とその弊害、およびそれに関わる関連公職者の告発が社会問題となった。

在日大韓民国民団は李明博韓国大統領にパチンコ産業への規制強化により、在日同胞への影響が出ているので小沢一郎に働きかけるようロビー活動を行い、李は小沢に取り組むよう求めた。

外国人犯罪と在日韓国・朝鮮人

日本国内に流通する覚醒剤の過半は北朝鮮産が占めていると言われており、問題の解決を困難なものにしている。 また、フィクションではあるが「はだしのゲン」の中では朝鮮人が列車の中で、「四等国の日本人は朝鮮人に席を譲れ」と怒鳴るシーンがあり、台湾人の蔡焜燦は著書『台湾人と日本精神』の中で、同様に「列車内では日本人乗客に対し理不尽なまでに威張り散らし、一方で当時は戦勝国であった中華民国の軍人にはこびへつらう、朝鮮人の極端なまでの二面性」を描写している。また、同作品では戦前と戦後直後の朝鮮人に対する虐待が克明に描写されている。このはだしのゲンと同じ様な事象として、1945年末の直江津駅リンチ殺人事件が挙げられる。第二次世界大戦後に朝鮮人による犯罪が増加したという現実があり、長く語り継がれている。

特に戦後、先述の直江津事件のほか、神戸市役所襲撃、生田警察署襲撃事件、七条警察署巡査殺害事件、名古屋少年匕首殺害事件、中津市朝鮮人一家殺害事件と在日朝鮮人による殺人や警官・軍人などへの襲撃事件が多発したため、これを事実と捉えたうえで、それが後々の日本人との間のわだかまりや先入観(「朝鮮人は恐い」などとして)を作り出し、日本人による差別・忌避・嫌悪感情の温床になったと主張する層が戦後一貫して存在している。浅草米兵暴行事件のように、一地区に多く住んでいる在日韓国・朝鮮人による集団犯罪も問題の根を深くしている。外国人全般の犯罪率および在日韓国・朝鮮人の犯罪率と、それらの解釈・解釈方法については現在に至るまで、しばしば議論の対象になっている。

在日韓国・朝鮮人の強制退去、不法滞在

1965年、日韓基本条約締結に伴い締結された在日韓国人の法的地位(協定永住)について定めた日韓両国政府間の協定(日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定、日韓法的地位協定)第三条は、以下の事由に該当しない限り日本国からの退去を強制されないとされた。

* 日本国において内乱罪又は外患誘致罪等により禁錮刑以上に処せられた者(付和随行者、執行猶予者は除く)。
* 本国において国交に関する罪および外国の元首、外交使節又はその公館に対する犯罪行為で禁錮刑以上が処せられ、日本国の外交上の重大な利益を害した者。
* 営利の目的をもつて麻薬及び向精神薬取締法等に違反して無期又は三年以上の懲役又は禁錮に処せられた者(執執行猶予者は除く)あるいは、三回以上刑に処せられた者。
* 日本国の法令に違反して無期又は七年をこえる懲役又は禁錮に処せられた者。

1991年、日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法(入管特例法)により韓国人のみが対象となっていた協定永住が朝鮮籍、台湾籍の永住者も合わせて特別永住許可として一本化された。特別永住者は退去強制となる条件が他の外国人よりも限定される(入管特例法第9条)。具体的条件は次のとおり。

* 内乱罪(付和随行を除く)、内乱予備罪、内乱陰謀罪、内乱等幇助罪で禁錮刑以上に処せられた者。(執行猶予が付いた場合は除く)
* 外患誘致罪、外患援助罪、かそれら未遂罪、予備罪、陰謀罪で禁錮刑以上に処せられた者。(執行猶予が付いた場合は除く)
* 外国国章損壊罪、私戦予備罪、私戦陰謀罪、中立命令違反罪で禁錮刑以上に処せられた者。
* 外国の元首、外交使節又はその公館に対しての犯罪で禁錮刑以上が処せられ、かつ法務大臣が(外務大臣と協議の上)日本の外交上の重大な利益が損なわれたと認定した者。
* 無期又は7年を超える懲役又は禁錮に処せられ、かつ法務大臣が日本の重大な利益が損ねられたと認定した者。

1970年代後半、日本で犯罪を犯した在日韓国人20人を韓国に強制退去させようとしたが、韓国政府は受け入れを拒否した。 一方、法務省入国管理局によれば、1978年、初めて韓国・朝鮮籍2人が退去強制により送還され、その後1988年までにさらに17人が送還されたとの記録がある。送還相手国は確認できないが、国交のない北朝鮮への送還は考えにくく、韓国に送還されていた可能性が高い。

2009年1月1日時点での韓国人不法滞在者数は24198人(男8703人、女15495人)で全体(11万3072人)の21.4%であり、中国人〈18385人、16.3%〉、フィリピン人〈17287人、15.3%〉を抑えて一位となった。このうちビザ免除プログラム等による短期滞在の後不法滞在者となった者は22060人で全体の90%以上を占めた。2008年の韓国人上陸拒否者数は2428人で2006年の4121人、2007年の3565人から減少した。

暴力団と在日韓国・朝鮮人

カプランとデュブロによると、日本最大の広域暴力団である山口組の構成員のうち、約10%の者が在日朝鮮人であるという。 四代目会津小鉄の会長だった高山登久太郎(姜外秀)は講演で、「ウチの組は同和が 3割、在日が3割だった」と発言したことがある(会津小鉄の場合、会長自身が在日韓国・朝鮮人だったため、割合が高かったと見られる)。

元公安調査庁調査第二部長の菅沼光弘が、2006年(平成18年)10月19日に外国特派員協会で行った講演で、六代目山口組のナンバー2である若頭の山清司から聞いた話として、暴力団構成員のうち6割が同和(被差別部落)、3割が在日韓国・朝鮮人、1割が同和でない日本人であり、右翼活動により収益を上げているという見解を示した。暴力団系右翼団体の構成員である在日韓国・朝鮮人が実行犯として逮捕された事件では村井秀夫刺殺事件と石井紘基刺殺事件が有名である。

元山口組顧問弁護士の山之内幸夫は『文藝春秋』昭和59年11月号に寄せた「山口組顧問弁護士の手記」において「ヤクザには在日朝鮮人や同和地区出身者が多いのも事実である」「約65万人といわれる在日朝鮮人のうち約50%が兵庫・大阪・京都に集中していることと山口組の発展は決して無関係ではなく、山口組は部落差別や在日朝鮮人差別の問題をなしにしては語れない」と述べた。

警察庁発表による平成18年度末の暴力団の人数は、構成員が約41,500人・準構成員が約43,200人・計約 84,700人である。

在日韓国・朝鮮人の起こした反社会的暴動事件

在日韓国・朝鮮人が起こした暴動事件の一例。

* 第1回生田警察署襲撃事件
* 第2回生田警察署襲撃事件
* 富坂警察署襲撃事件
* 長崎警察署襲撃事件
* 富山駅前派出所襲撃事件
* 尾花沢派出所襲撃事件
* 下里村役場集団恐喝事件
* 東成警察署襲撃事件
* 木造地区警察署襲撃事件
* 広島地裁暴動事件
* 高田派出所襲撃事件
* 奈良警察官宅襲撃事件
* 五所川原税務署襲撃事件
* 朝鮮総連RENK襲撃事件(1994年)

在日韓国・朝鮮人に関連した著名な刑事事件

在日韓国・朝鮮人という出自が事件の原因に深くかかわった刑事事件の一例。

* 高田ドブロク事件
* 直江津駅リンチ殺人事件
* 金嬉老事件
* 文世光事件
* 東京拘置所堀犬頭部遺棄事件

匿名口座と在日韓国・朝鮮人

在日韓国・朝鮮人には通名が認められているため、一部の銀行では通名での口座開設が可能である。そのため通名を変更後は事実上の匿名口座になり、これが在日韓国・朝鮮人による犯罪の温床となるケースがある。

2006年、最高裁判所は、朝銀に架空名義で口座を開設し脱税資金を預金していたパチンコ店経営の在日韓国・朝鮮人の男性に対し、脱税した資金41億8千万円を公的資金で穴埋めする判決を下した。これは、脱税資金の匿名口座の金を公的資金で補填するという異常な判決であり、在日韓国・朝鮮人の犯罪者(ただし脱税行為については時効が成立)に対し、公的資金で補填することに日本国民からの反発は極めて強い。遅延損害金6億7千万円も加算して支払っており、匿名口座で犯罪行為を行った者へ利子までつけて返金するという、極めて異常な判決は海外でも報道され、日本の司法制度の軟弱さが改めて世界中から注目されることとなった。

民族団体を通じた在日韓国・朝鮮人への住民税減額措置

三重県旧上野市(現伊賀市)、桑名市、四日市市に合併前の旧楠町では条例などを制定しないまま一部の在日韓国・朝鮮人の住民税を半額程度に減額する特例措置を長年続けていた。伊賀市は市民税と合わせて徴収する県民税も半額にしていた。遅くとも1960年代後半には始まっていたとみられ、伊賀市は税の公平性に反するとして2006年度でこの措置をやめた。桑名市も2008年度から是正する方針が示された。在日本大韓民国民団と在日本朝鮮人総聯合会に所属する在日韓国・朝鮮人のうち、税を窓口などで納付する普通徴収の人たちが対象になっていた。市が該当者分の納付書を民団と総連にまとめて送付し、それぞれの団体が取りまとめて納税していた。2006年度の対象者は伊賀市で約400人の在住者のうち個人事業主を中心に在日韓国人35人と在日朝鮮人18人、桑名市では減額率は民団が6割、朝鮮総連が5割で、約990人の在住者のうち約250人を対象とし年間数千万円であったとされる。

伊賀市の減額措置は、昭和30年代から40年代にかけ、市と地元の民団や朝鮮総聯との交渉で開始、 1980年代以前は、両団体支部を通じた在日韓国人らが窓口に来た際、一般職員ではなく係長級職員が直接受け付け、減額を行っていた。当時は納付しない人も多く、半額でも徴収したいとの上野市側の思惑もあったとされる。桑名市では民団と朝鮮総連の桑名支部代表者らと話し合い、昭和45年ごろから市県民税を減税していた。桑名市税務課では「減額の経緯は資料がなくわからないが、昭和四十年代に全国的に減税の動きがあったのでは」とコメントしている。

伊賀市内の元在日韓国人が日本に帰化するのに伴い住民税が本来の額に上がるため相談を持ち掛け、これに応じた伊賀市の元総務部長がこれを利用して半分のままでいいから自分に渡すよう促し、2002年以降計約1800万円を受け取ったまま納付せずに着服していた疑いも発覚した。受け渡しの際、元総務部長は自作の預かり証を渡し、帰化した元在日韓国人は滞納状態だったが、数年間にわたり「督促しなくてよい」と職員に指示していた。

この事件に対し、「他国籍の在住外国人も大勢いるなか、不適切な優遇」といった批判が市民の間から出た。伊賀市側は在日韓国・朝鮮人に対する戦争補償の一環や戦後期の所得格差の解消などを理由に容認していたと述べた。また他町村との合併協議の中で減免措置に対する疑問が提示され、民団、総聯との協議の結果、2005年11月に翌2006年度で全廃することで合意した。民団三重県伊賀支部支団長によると、この減額措置を2004年に支団長になって知り、「参政権などを求めるうえで日本人と違うのは不公平である」と改善に応じ、一方、総聯伊賀支部委員長は、「過去の経緯は話せない」とコメントを避けた。

三重県市町行財政室は「地方税上、条例の定めのない減免はできず、条例がないなら問題」、総務省自治税務局市町村税課は「減免は各市町村が判断し条例で定めるが、このような例は初耳」、桑名市税務課では「条例の裏付けもなく続けてきたことは遺憾」とそれぞれ述べた。伊賀市では過去の資料が無いため詳細については定かではないが、減免措置は地方税法第323条に基づいて旧上野市が制定した市税条例第51条第1項第5号の「特別の理由があるもの」との規定により市長が必要であると認めたものについて、市が歴史的経過、社会的背景、経済的状況などを総合的に考慮し、減免することが妥当と判断したものであろうと思われる、とした。一方、この減免措置は本来、副市長(旧助役)の決裁が必要だが、税務課内部の判断で長年続いていたことも明らかになった。

また桑名市は日本国政府に報告する「課税状況調べ」に、減免対象者の住民税を記載してなかったことが判明し、2008年3月、国に税収の訂正を提出した。この結果、地方交付税を多く受給していたとして2008年度の交付税は約2億8000万円減額される見通しとなった。

在日韓国・朝鮮人の処遇と未来像に関する議論

帰化と日本国籍取得

長年、在日韓国・朝鮮人を日本社会の構成員として取り扱おうという主張があった。この場合「日本社会の構成員」という語は、立場によって様々に意味を変える。「社会の構成員」と言うかぎりならば、これには単なる実態の反映でしかないという見方もある。しかしこれが、地方参政権の付与に至ると、議論が分かれる(外国人参政権を参照)。

2007年時点で民族名による帰化は保証されておらず、届出による日本国籍取得と民族名使用の保障などを盛り込んだ国籍取得特例法を求める運動が続いていた。自民党法務部会の「国籍問題に関するプロジェクトチーム」は2008年1月24日の会合で、在日韓国・朝鮮人などの特別永住者が日本国籍を簡単に得られるようにする特別永住者等の国籍取得の特例に関する法律案(特別永住者国籍取得特例法案)を議員立法で2008年の第169回通常国会に提出する方針を決めた。

在日韓国・朝鮮人から日本に帰化する者の数は、95年に一万人を超えたのを皮切りに年間で毎年9000―11000人に上っている。帰化を許可された者は国籍法第10条に基づき、『官報』に帰化前の名前・住所・生年月日が公示される。

また1990年代までに比べれば、「日本籍コリアン」にも朝鮮系であることを周囲に言明する者が増えるなどし、帰化した後の生活スタイルも多様化しつつある。

日本人との婚姻

2006年、韓国・朝鮮籍所有者と日本国籍者の婚姻件数は8376件で、1961年の1971に比べおよそ4倍、日本国内全体の婚姻件数73万 971件のうち、約1%を占めている。在日韓国・朝鮮人女性と日本人男性間の婚姻件数は1990年の8490件を最高に2006年には6041件、一方、韓国・朝鮮人男性と日本人女性間の婚姻件数は2006年末現在で2335件で1984年に2000件を超えて以来、ほぼ横ばいとなっている。

さらに詳しく → 在日韓国・朝鮮人



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