リー・エンフィールド No5 Mk1 "ジャングルカービン" (Lee Enfield No 5 Mk1 "Jungle Carbine")

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2010/05/14(金)
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リー・エンフィールド(Lee-Enfield)は1895年から1958年の60年以上もの間イギリス陸軍の制式小であった、脱着可能な10発入りダブルカラムマガジン(複列弾倉)を備えたボルトアクションライフルである。 リー・エンフィールドとは、設計者であるジェームス・パリス・リー(James Paris Lee)のリーと、王立小火器工廠がある地名のエンフィールドから来ている。

一言にリー・エンフィールドと言っても、同じタイプのを使い続けたのではなく、改良を加えながら使い続けた為、各タイプごとに名前が異なり、外見・仕様・弾薬共に変わっている点も多く、多くのタイプ・ヴァリエーションが存在する。 このためリー・エンフィールドシリーズと呼んでも過言ではない。

概要

イギリス陸軍以外にもイギリスの植民地及びコモンウェルスの諸国の軍・警察などにおいても採用された。イギリス軍では1958年にL1A1に制式小の座を譲った後も1960年代初頭まで使用されており、今でも、インド警察などの一部のコモンウェルス諸国・元植民地の治安維持部隊等では現役である。総生産量は1億7千万丁を越えると推定されている。一部の派生型を除き、.303ブリティッシュ弾(英語版)というリム(縁)付きの弾薬を使用する。 弾倉をに付け、ボルトを開放した状態で上から5発クリップを2個用いて10発を給弾する。

上記の通り、同時期の諸外国の小に比べ装弾数が多いのと、マウザー方式とは異なるボルトアクションであったため、ボルトの後退幅・回転角が小さく、素早く排莢・装填でき、訓練を積んだ兵士であれば、1分間に20~30発撃つこともできたとも言われているが、SIG BLASER R93のようなストレートアクションほど大きなアドバンテージは無いという意見もある。

沿革

最初、リー・メトフォード(英語版)の弾薬を黒色火薬から無煙火薬にただ換えれば良いと考えていたが、実験の結果、無煙火薬によって発生する高熱と高圧力によって丸く浅いメトフォードライフリングを直ぐにすり減らしてしまい身の寿命が短くなる事が分かり、銃身のライフリングを角型のライフリングにしたことで、この問題を解決し、リー・エンフィールド小銃は誕生したのであった。

ダブルカラムマガジンにはリム無しの弾薬の方が良いという要求があったにも関わらず、政府は在庫が余っているリム付きの弾薬を使うためにリー・エンフィールド小銃に既存の弾薬を採用するように命じた。この決定は黒色火薬時代の古い設計である30.3口径の弾薬が、第二次世界大戦、朝鮮戦争まで生き延び、コモンウェルス諸国の軍隊が自動小銃を採用する為にリム無し弾薬を採用するまで使い続けられるという誰も予想し得ない結果を生んだ。

脱着可能な弾倉を備えているという事は、今でこそ普通であるが、この小銃が採用された頃ではかなり先進的な事であった。脱着可能な弾倉を採用することは,当初,一部のイギリス軍上層部に反対されていた。なぜなら、兵士が野戦において伏せ撃ちした際に弾倉を無くすのではないか懸念していたからである。こうした反対意見を反映して初期のリー・エンフィールド小銃では、弾倉と小銃本体とを短い鎖で繋げていた。さらに上層部は、多弾数の弾倉を備えた銃だと兵士が正確に狙って撃たなくなるのではないかとも予期したが、これらの心配された事は実際には起こらず、60年以上に渡ってイギリス軍で使われ続けた。

各タイプと採用期間

マガジン リー・エンフィールド 1895–1926
チャージャー・ローディング リー・エンフィールド 1906–1926
ショート・マガジン リー・エンフィールド Mk I 1904–1926
ショート・マガジン リー・エンフィールド Mk II 1906–1927
ショート・マガジン リー・エンフィールド Mk III/III* 1907–現在
ショート・マガジン リー・エンフィールド Mk V 1923–1926 (試作のみ)
ライフル No. 4 Mk I 1939–現在
ライフル No. 4 Mk I* 1941–現在
ライフル No 5 Mk I "ジャングルカービン" 1944–現在
ライフル No. 4 Mk 2 1947–現在
ライフル 7.62 mm 2A1 1965–現在

各タイプと採用期間

以下にイギリス陸軍での各タイプ・派生型の採用期間ついてまとめた。

マガジン リー・エンフィールド 1895–1926
チャージャー・ローディング リー・エンフィールド 1906–1926
ショート・マガジン リー・エンフィールド Mk I 1904–1926
ショート・マガジン リー・エンフィールド Mk II 1906–1927
ショート・マガジン リー・エンフィールド Mk III/III* 1907–現在
ショート・マガジン リー・エンフィールド Mk V 1923–1926 (試作のみ)
ライフル No. 4 Mk I 1939–現在
ライフル No. 4 Mk I* 1941–現在
ライフル No 5 Mk I "ジャングルカービン" 1944–現在
ライフル No. 4 Mk 2 1947–現在
ライフル 7.62 mm 2A1 1965–現在

各タイプの説明

Magazine Lee-Enfield

1895年11月、イギリス陸軍は歩兵銃として.303 calibre, Rifle, Magazine, Lee-Enfield、一般的にはMagazine Lee-EnfieldまたはMLEとして知られるこのタイプを採用した。銃身の長さは30.2インチ (767mm)であった。翌1896年には、銃身を21.2インチ (538mm)まで切り詰めたLee-Enfield Cavalry Carbine MkI(LEC)を騎兵銃として採用した。1899年に、歩兵銃・騎兵銃共に小改良を加えて名称をそれぞれMLE MkI*、LEC MkI*としている。

Short Magazine Lee-Enfield MkI

MLEを短縮・軽量化したRifle, Short, Magazine, Lee-enfieldまたはSMLEとして有名なこの改良型は1904年1月1日に採用された。 銃身長は、MLEの標準タイプと騎兵銃タイプとの中間のサイズである25.2インチ(640mm)である。 SMLEの見た目の特徴は、丸く潰れた銃身の先端がほんの少しだけ飛び出ている以外は銃身がハンドガードで完全に覆われている点である。 このバージョンは、新しく開発されマウザーで用いられていた装填機構を組み込んでいる。

当時、短くなった銃身は議論の的になった。 多くの銃職人、ライフル協会のメンバーは「短い銃身にすれば、MLE程の命中精度は期待できないだろうし、反動がかなり大きくなるし、有効射程距離がかなり短くなるだろう。」と心配していた。当時の多くの専門家も「騎兵には長過ぎるが、正確に長距離射撃をするには短過ぎる」と感じていた。

Short Magazine Lee-Enfield Mk III

数多くあるリー・エンフィールドの中で最も有名であると思われるのが、このSMLE Mk IIIである。 1907年1月26日にイギリス陸軍に採用された。このバージョンには、簡略化されたU字型の照門と改良された装填・排莢機構が組み込まれ、更にハンドガードと弾倉のデザインにも改良が加えられた。 空気力学的に優れている新採用の"Mk VII高速弾"に適するように薬室にも改良が加えられた。

Short Magazine Lee-Enfield MkIV

前の制式採用小銃であるMagazine Lee Metford (MLM)と、リーエンフィールド小銃の初期タイプであるMLEとSMLE MkIの多くはこのSMLE MkIIIの規格に改修された。 改修されたこれらのバージョンをSMLE MkIVと呼ばれることとなった。

Short Magazine Lee-Enfield Mk III*

第一次世界大戦中、SMLE Mk IIIは生産に手間が掛かり過ぎることが判明した。1915年の後半になり需要が供給量を追い越してしまったので、そこで簡易型のSMLE Mk III*がイギリス軍に採用された。 最も顕著な変更箇所は、弾倉から薬室への装弾を止める"マガジン・カットオフ"と呼ばれる機構と、 長距離の目標にあわせる照準機を省略した点である。風の影響を考慮して照門を調整する機能も同様に省略された。 "マガジン・カットオフ"機能は第一次大戦終結後、省略されなくなったが、1942年までには全く必要の無いものとなってしまった。特に、北アフリカやアジアにあるコモンウェルスの国々では第二次世界大戦以降まで採用され続けることになる。

オーストラリアとインドでは紛争時の標準的な小銃として保持、生産されていたが、容易に生産が可能な設計であるからである。オーストラリアでは朝鮮戦争でも使用され、1950年代後半になりL1A1にその座を受け渡すまで制式採用小銃の座に留まり続けた。

アイルランドでは1922年建国と同時にSMLE Mk III*を制式小銃として採用した。 既にアイルランド独立戦争においてIRAで広く使われていた。 アイルランド内戦では条約支持派と反条約派の両サイドで用いられ、その後IRAによって1950から70年代にかけて使われたのである。

戦間期~

1926年、イギリス陸軍は武器の命名法を変更した。その結果、SMLEは名前が変わりRifle No. 1 Mk IIIまたはRifle No. 1 Mk III*として知られるようになる。 それと同時にMLEとLECはSMLE MkIなどの初期のSMLEと一緒に廃止された。多くのMk IIIとMkIII*が22口径の拳銃弾(.22 LongRifle)を使用するRifle No. 2と名付けた訓練用ライフルに改造された。

SMLE MkV (Rifle No.1 Mk V)

従来のSMLEは多くの鍛造や機械加工を必要とする為に、大量生産するにはかなり高価だった。 価格と工程の多さを解決するために、複雑な部品の数を減らすなどの幾つかの試みが1920年代に行われていた。

その試みの集大成がSMLE MkV(1926年以降はRifle No.1 Mk V)である。 Mk IIIから改良点は、照門に改良が加えられ容易に尚且つ迅速に照準をつける事が可能になった事と、照門を射手から見て手前の側に移動させた為、照門と照星との間が距離が離れた結果、照準の精度が上がり、有効射程が向上した。 "マガジン・カットオフ"機構がまた組み込まれる事になり、バンドを銃口の手前に追加した事で銃剣を使う際の強度不足は解消された。

しかし、Mk Vは大量生産するとなるとMk IIIより遥かに複雑で高価になってしまう事が分かり、開発は終了、限定的に1922~24年にかけて2万丁生産されただけで試作品の域を超えることはなかった。

重銃身で尚且つフローティングバレル(銃身が銃床及びハンドガード(台座部分)から少し浮いていて干渉することが無い、命中精度を追求する場合に用いる。狙撃銃#本体を参照。)で、Mk Vで採用された新しい照門と"マガジン・カットオフ"機構が省かれたRifle No.1 Mk VIも開発されたが、1930~33年の間に1025丁だけ生産された。

Rifle No.4 Mk I

1930年代末になり新しい小銃への要求が高まり、1939年に採用されたのがこのRifle No. 4 Mk I(No.4 Mk I)である。1939年採用されたが、41年まで大量生産される事はなかった。

このRifle No. 4 Mk IはRifle No.1 MkVIに類似している。しかし、最も大きな違いは、より簡単に大量生産できるようになった点である。一目で分かる外見上の違いは、SMLEとは異なって、ハンドガードから銃身が飛び出ている点だろう。No.4 Mk IはRifle No.1 MkIIIに比べ非常に重たい。これは銃全体を強化し、命中精度を上げる為に肉厚で重い銃身を採用したからである。

新しい銃剣もこの銃の開発に平行して開発され、スパイク・バヨネットと呼ばれる銃剣が取り入れられた。 本質的には先端が尖った棒を銃にしっかり固定されるようにしたのと同じであり、兵士からは「豚を突付く棒」だとあだ名された。 第二次世界大戦が終盤を迎える頃、刃が付いた一般的な銃剣が開発・支給され、スパイク・バヨネットと同じくらいの数が使われた。

第二次世界大戦が進むに連れて、大量生産向きにした簡易型であるNo. 4 Mk I*が生まれた。 照準器の設定距離を600mまでに限定し、照門をただの穴としたピープサイトと呼ばれるものに変更している。この簡易型であるNo.4 Mk I*はカナダのLong Branch ArsenalとアメリカのSavage-Stevens Firearmsでのみ生産された。その一方で、第二次世界大戦の間を通して、No. 4 Mk Iはイギリスでのみ生産された。

アイルランド陸軍ではNo.4 Mk Iは戦後も使われ続けた。コンゴ動乱でもっと近代的な火器が必要なことに気が付いた為、1960年代初頭に 制式採用小銃の座はFN FALに取って変わられた。 陸軍の予備役に軍用の武器としては不足な点があるにも関わらず1990年まで使われていた。使った兵士には親しまれていたと言う。

Rifle No.4 Mk 2

第二次世界大戦から数年経ち、イギリス陸軍はRifle No.4 Mk 2(1944年に公式名称で使う数字をローマ数字からアラビア数字に変更した。)を採用した。 トリガー(引き金)の回転軸をトリガーガード(用心鉄)から銃本体へと移した事で、より洗練され、機能が向上した。銃床をブナ材に変え、肩当て部分が真鍮に戻された点が、Mk Iとの外見上の違いである。No.4 Mk 2の導入に際し、イギリス陸軍は在庫となっている全てのMk IをMk 2規格に改修した。 Mk Iから改修されたものをNo.4 Mk I/2、Mk I*から改修されたものをNo.4 Mk I/3 と名付けた。

狙撃銃タイプ

第一次・二次世界大戦と朝鮮戦争の間を通して、数多くのリー・エンフィールド小銃が狙撃銃に改造された。第二次世界大戦中は新たに狙撃銃を設計せず、No.4 Mk Iの生産ラインから精度の良いものを選び、照門を取り外し、木製のチークパッド(頬当て)と"No.32 3.5倍スナイパースコープ(狙撃眼鏡)"を取り付けるなどの改造を施すことで狙撃銃を製作した。それらの改造を施したNo.4 Mk IにNo.4 Mk I (T)という名称を与えた。

この独特な"No.32 3.5倍スコープ"は、1942年にMk 1が、43年にMk 2が、44年にはMk 3が採用され、年を追うごとに進歩していった。 (その後、No.32 Mk 3には新たにL1A1という名称が与えられている。)イギリスで有名なスポーツ用銃製作会社であるHoland and Holandで、数多くのNo.4 Mk Iが狙撃銃へと改造されていった。これらの狙撃銃は、オリジナルの状態で1960年代までの多くの紛争で用いられることとなったが、7.62mm NATO弾を使用するように改修されたタイプであるL42A1は1982年のフォークランド紛争でも用いられた。

オーストラリアではスナイパースコープ、チークパッドを取り付け、銃身を肉厚で重い物と交換したSMLE Mk III*にSMLE Mk III* (HT) という名前を与え、狙撃銃として採用した。(HTとは重銃身、狙撃眼鏡付きの意味である。) SMLE Mk III* (HT)は第二次世界大戦、朝鮮戦争を経験し、その後1970年代後半まで狙撃手の練習用として使われた。

Rifle No.5 Mk 1 "ジャングル・カービン"

第二次世界大戦も後半に差し掛かる頃、東南アジアのジャングル地帯でも取り回しがよい、より短く・軽いタイプの開発が求められた。そこで開発されたのがRifle No.5 Mk 1(通称"ジャングル・カービン")である。No.4 Mk Iの銃床を短くし、余計な金属製部品を排除したことで、2ポンド(907g)軽くなっている。 しかし、軽く短くした銃から.303ブリティッシュ弾を撃つ時の反動は凄まじいものであった。 その反動を少しでも和らげる為に取り付けた、突出したフラッシュハイダーとゴム製の肩当てがこの銃の外見的な特徴の一つでもある。

反動が和らいだとは言え、通常の小銃よりは反動が大きく、それが原因で命中精度は悪いものであった。 ジャングル戦でのU.S.M1カービンの有効性が分かってきた事もあり、この銃が大々的に前線に投入されることはなかった。オーストラリアではRifle No.6 Mk 1と呼ばれるジャングル・カービンも同時に開発された。 こちらはNo.5 Mk 1と異なり、No.1 Mk III*から開発している。 試作品の域を超えなかったので、今日では現存している数が非常に限られている。その為、コレクターの間では非常に高値で取引されている。

さらに詳しく → リー・エンフィールド



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タグ : ライフル リーエンフィールド Lee-Enfield ボルトアクション SMLE ジャングルカービン

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