処刑(死刑)と拷問の歴史 - 中世編

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2010/04/10(土)
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拷問(ごうもん)とは、被害者の自由を奪った上で肉体的・精神的に痛めつけることにより、加害者の要求に従うように強要する事。特に被害者の持つ情報を自白させる目的で行われることが多い。文脈によっては苦痛を与えることそれ自体を目的とする行為も拷問と呼ばれることがある。

概要

拷問によって得られた情報は重要であると考えられ、洋の東西を問わず古来から広く行われた。拷問は尋問と組み合わせて用いられることが多く、対象者から情報を引き出すために肉体的・精神的な苦痛によって追いつめていき、自白させる。多くはいくつかの原則に則って行われるものであり、自白と引き替えにすぐに苦痛を和らげることで対象者に機会を与え、自白への誘惑をより一層強める。現在の日本においては、公務員による拷問は絶対にこれを禁じ、かつ、拷問によって得られた自白は証拠として使えないと条文に明記されている(日本国憲法38条2項、刑事訴訟法第319条第1項)。

混同しないように注意しなければならないのは、法律用語としての拷問はあくまでも刑事訴訟法に基づく取調べであって、刑法に基づく刑事罰ではないことである。そのため、ギロチンなどの処刑や刑事罰としての鞭打ちなどは拷問ではない。現代でも法定刑罰として鞭打ちなどを行っている国はあるが、これは刑罰であって拷問ではない点に注意が必要である。ただし罰そのものであったり長期間の大きい苦痛の末の殺人であったりしても、国家ではなく犯罪者によるなど文脈によっては拷問と呼ばれることもある。文化人類学の文脈における儀式性の高い殺害も拷問と呼ばれる。

また、拷問は相手に何らかの要求を聞くよう強要するためにも行われてきた。代表的なものとしては相手の信仰を改宗させるために行う場合がある。日本でもキリシタン弾圧に際して行われてきた歴史がある。共産主義国では反革命思想を矯正するために拷問が用いられた事も多い。戦争においては相手が持つ情報を聞き出すために行われてきた。

2008年にアメリカで「ウォーターボーディング」が拷問に当たるかどうか議論となり、水責め尋問禁止法案が出されるなど議論を呼んでいる。現代においても、尋問で簡単に自白が得られる保証は無く、法律違反ぎりぎりの尋問(睡眠の妨害など)が行われることがある。

容疑者・拷問者双方の精神を変容させて妄想を増幅する傾向があり、また実際に無実であっても拷問者に迎合する自白が得られてしまうため、拷問による自白は信頼がおけないとされるが、現場では代案がない、人間の残虐性、本音では真相を目的としていない場合も多いため常に好まれる。

歴史

現在では国際的に絶対の禁忌として厳しく禁止されているが、完全禁止が法制度化されたのは19世紀になってからであり、それ以前には合法的に行われていた。 法制度が整っていなかった古代には取り調べを行う役人の気分しだいで行われていたが、中世になって法制度が整い始めると、現代で言うところの刑事訴訟法の一部として拷問に関する法律が出来た。ヨーロッパで法定拷問が制定されたのはザクセンシュピーゲル・ラント法が最初だとする説がある。この時の法定拷問は「長さ2ダウメネスの1本の生の樫の枝をもって32回打つ」と規定されていた。

1532年にドイツ初の統一的な刑事法であるカロリナ法が制定されると、法定拷問として「さらし台」が規定された。法定拷問を行うことが出来る容疑者とは「謀殺、故殺、嬰児殺し、毒殺、横領、放火、反逆、窃盗、魔術」の九罪と規定され、しかも、どのような場合に拷問が行える九罪の容疑に該当するのか条文に細かく定められて、違反した裁判官と役人には拷問を受けた人が蒙った恥辱、苦痛、経費および損害に対する補償をする責任があることを明記するなど容疑者への配慮や公務員の責任など近代法としての体裁を整えていた。

当時の皇帝カール五世は拷問について以下のように語ったと伝えられており、当時は刑事事件の解決手段として拷問を行うことは正当であるとの認識が有ったと考えられる。「拷問、および、真実の確定に役立つすべての調査あるによりて、原告人によりて収牢せらるる者どもに関し明瞭にのちに記述せられ規定せられいるごとくに、行為者の自白に基づく有責判決もまた許されるべし」

そもそも、刑事訴訟法において拷問が必要とされた背景には古代の裁判は証拠や自白に拠らない、「神明裁判」という不合理な物によって判決を下していた。 そのため、容疑者の自白を得る必要そのものが無かったため、自白を強要する拷問という制度も必要とされなかった。しかし、中世になって理論的な法体系に基づく自白と証拠による判決という近代的な法が制度化されると、自白を得ることが重要になり、自白を得るための取調べの手段として拷問が使われるようになった。 拷問が司法手続きの一部として法整備が行われると、拷問官(Tormentor)と呼ばれる拷問を専門に行う公務員も誕生した。拷問官はその職業上人体生理・心理学の知識を持つため、医学的な相談を非公式に受けることもあった。 処刑人と拷問官はまったく別の職業であり、処刑人が拷問を行うことはなかった。

近代になると拷問によって得られた自白の証拠能力が疑問視されるようになってきた。 1757年にルイ15世暗殺未遂の罪によってロベール=フランソワ・ダミアンが死刑執行前に拷問にかけられて共犯者の名前を自白させられたが、実際には単独犯であり、共犯者など存在しなかったにもかかわらず、拷問にかけられたダミアンは苦し紛れに適当な名前を自白した。 この、虚偽の自白に対してフランスの高等法院は逮捕状を発給して自白した名前の人物を逮捕して、国王暗殺未遂の重罪人として厳しく取調べをした。ダミアンは拷問が終わった後に処刑されているため、再度問い直すことも出来ず、無実の人間が拷問にかけられることになった。 この事件が問題視されフランスでは1788年に拷問が全面禁止となった。

これは拷問を行う人間が望むことを自白するように強要する結果になってしまい、真実が明らかにならず、かえって裁判の証拠を阻害するようになって本当の犯人を逃がしてしまい、無実の人間が拷問にかけられるようになったためである。この点に関しては現代の取調べにおいても根本的に解決はしていない。

また、兵站や給与がない近代以前の戦争では略奪・強姦・奴隷獲得は各兵の重要な目的であり、敵性地域の人々が隠した食料・宝物・家畜・女子などのありかを拷問で聞き出すことは、現代の紛争に至るまで普遍的に行われている。三十年戦争を題材とした絵などが多く見られる。

拷問と魔女狩り

魔女狩りでは魔女に対して悪魔との契約について自白を迫るための拷問が行われた(後世の創作もある)。 なお「針を刺して痛みを感じなかったら魔女」とか「水に沈めて浮かんできたら魔女」等の神明裁判が拷問と混同されるが、自白を強要しない点で異なる。

拷問方法の例

拷問は身体に後遺症や傷跡の残るのも辞さないものと、それらを残さないように行うものに分かれる。時代ごとに最高水準の科学技術、生理学および心理学の知識を悪用し、また儀式や性的な側面も多分にある。

* 暴行-鞭打ち、水責め、指締め、スペインの蜘蛛、猫鞭、鉄の処女、ユダのゆりかご、火頂、石抱き、皮鞭、ラック(拷問台)、猫の爪、リッサの鉄棺、ガロット、貞操帯、など
* 特に痛覚に重きを置いた暴行-電気ショックなど
* 生理現象の制限-睡眠、食事、排せつなどを制限する
* 脅迫-脅迫によって不安を与える。拷問場を見せることも拷問であり、家族などを拷問することもある。
* 侮辱行為-公衆の面前で曝しものにする、穢れや宗教的な冒涜を強いるなど
* 性的虐待-強姦など
* 精神的な苦痛。

拷問の方法や道具には鉄の処女など実在に疑問の余地がある拷問方法も数多い。 後世の作家などがノンフィクションであるかのように架空の拷問を著作物に登場させ、 さらに、架空の拷問道具を実際に作成して販売する業者まで現れた。 また、拷問が全面禁止された後でも貴族など裕福層で使いもしない拷問道具をコレクションすることが流行した。 これに業者が便乗して独創的で見た目に面白い拷問道具を独自に作成して、中世時代にまるで実際に使われていたかのようなふれこみで販売したため、 鉄の処女などに代表されるような実在不明な拷問道具が現代に大量に残ることになった。 このため、拷問として伝承されている物の中には実在しなかった空想上の拷問も数多い。

国際法での拷問

国際法上は、拷問等禁止条約(拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約)により次のように定義される。

* この条約の適用上、「拷問」とは、身体的なものであるか精神的なものであるかを問わず人に重い苦痛を故意に与える行為であって、本人若しくは第三者から情報若しくは自白を得ること、本人若しくは第三者が行ったか若しくはその疑いがある行為について本人を罰すること、本人若しくは第三者を脅迫し若しくは強要することその他これらに類することを目的として又は何らかの差別に基づく理由によって、かつ、公務員その他の公的資格で行動する者により又はその扇動により若しくはその同意若しくは黙認の下に行われるものをいう。「拷問」には、合法的な制裁の限りで苦痛が生ずること又は合法的な制裁に固有の若しくは付随する苦痛を与えることを含まない(第1条)。

しかし、実際には現代でも拷問の実行が噂される事例もある、例えばアメリカ軍がベトナム戦争時に行ったベトナム人への拷問や虐待が暴露され、国内外から批判が起こり、アメリカ軍がベトナムから撤退する要因のひとつともなった。

またアフガニスタン侵攻やイラク戦争における中東系の人々への拷問も暴露され内外から批判され、イラク国内ではテロリストを増やす要因ともなった。キューバにある米軍のグァンタナモ米軍基地ではアメリカの法律もキューバの法律も適用されず、テロリストと見なされた人が人権無視で拷問を受けているとされ、濡れ衣を着せられて収監されたパキスタン系イギリス人の青年3人の体験をもとに、映画『グアンタナモ、僕達が見た真実』が制作された。また先進国においても数こそ少ないながら報告されている。

日本での経緯

罪人に苦痛を与えて強制的に白状させる拷問は、日本でも古代から存在していたと推測されるが、公式に制度化されたのは奈良時代、大宝律令が制定されてからである。

律令で定められた拷問は、罪の容疑が濃厚で自白しない罪人を、刑部省の役人の立ち会いのもと、杖(拷問に用いる場合は訊杖(じんじょう)といった。長さは3尺5寸=約1mで、先端が4分=約1.2cm、末端が3分=約0.9mmと定められていた)で背中15回・尻部15回を打つもので、自白できない場合は次の拷問まで20日以上の間隔をおき、合計200回以下とする条件で行っていた。皇族や役人などの特権者、16歳未満70歳以上の人、出産間近の女性に対しては原則的には拷問は行われなかった。ただし、謀反などの国事に関する犯罪に加担していた場合は地位などに関係なく行われ、そのうえ合計回数の制限もなかったと思われる。

このため拷問中に絶命する罪人も少なくなかった。奈良時代の著名な政変の一つである橘奈良麻呂の乱で、謀反を企てた道祖王、黄文王、大伴古麻呂、小野東人らが杖で長時間打たれた末、耐えかねて絶命したのは良く知られているが、他にも承和の変や応天門の変、伊豫親王の変などでも容疑者を杖で打ち続ける拷問が行われたとされている。やがて遣唐使中止や延喜の治の頃になると、杖で打つ拷問は廃れていったと考えられる。

戦国時代、江戸時代においては駿河問い、水責め、木馬責め、塩責めなどのさまざまな拷問が行われたが、1742年に公事方御定書が制定されてからは笞打(むちうち)・石抱き・海老責(えびぜめ)・釣責の四つが拷問として行われた。その中でも笞打・石抱は「牢問」、海老責・釣責は「(狭義の)拷問」というように区別して呼ばれ、その危険性の高さゆえ、「(狭義の)拷問」は「牢問」よりも厳しい要件が定められていた。

拷問が行われるのは、殺人、放火など死罪となる重犯罪の被疑者に限られ、その上共犯者の自白や証拠品の確保などによって犯罪が立証されていることが必須であり、なおかつ、拷問の実施には老中の許可が必要だった。町役人が独断で拷問を行うことは、法制度上では禁止されていた。また、江戸幕府最後の南町奉行で与力だった佐久間長敬の書き残した文章によれば、拷問を使わずに犯人から自白を引き出す吟味役を有能とする風潮が存在していた。これは拷問しにくい環境が整っていたことを示している。但し、現代のような科学捜査の無い当時の犯罪捜査は自白中心だったことから拷問を廃止するのは不可能だった。無論、拷問する側も拷問の実施要件を厳格に定めていたことから自白中心主義の問題には気づいていたと思われる。また、公事方御定書の適用範囲自体が幕府直轄地に限定されており、その他の領地では各藩の自由裁量に任されていたため、公事方御定書制定以降も上記四種以外の刑罰が存在した可能性がある。

同じく江戸時代島原の乱の原因となった松倉勝家が領する島原藩におけるキリシタンに対して行われたとされる拷問は、蓑で巻いた信者に火を付けもがき苦しませた蓑踊りをはじめ、硫黄を混ぜた熱湯を信者に少量注ぐ、信者を水牢に入れて数日間放置、干満のある干潟の中に立てた十字架に被害者を逆磔(さかさはりつけ)にするなどさまざまだった。これはキリスト教の棄教を迫るもので、キリシタンが拷問中に転向する旨を表明した場合、そこで拷問から解放された。拷問の結果棄教したキリシタンが数多く存在しているが、逆に棄教しない場合は死ぬまで拷問が続けられた。

江戸時代から明治に変わっても拷問は続き、第二次世界大戦後までの間に警察では拷問は平然と行われ、その時代の有名な拷問の犠牲者として作家の小林多喜二がいる。大戦中の1942年に起こった横浜事件では雑誌編集者らに対し拷問を与え3名が獄死した。ちなみにこちらの事件で拷問を行った警察官は有罪となり、更に被告が全員死亡した2005年になってようやく横浜事件に対する雑誌編集者らについての再審裁判が行われた(2008年3月、最高裁判所で免訴が確定し、元被告の遺族らが望んだ無罪判決は下されなかった)。

また、1944年に発生した首なし事件では、警察官が拷問で採炭業者の男性を死亡させたが、正木ひろしが告発を行い、戦後になって拷問を行った巡査部長に有罪判決が下っている。日本敗戦後のGHQ統治下でも警察が拷問による自白を多数強要していた。だが1952年にサンフランシスコ講和条約後に今まで行われた逮捕者をもう一度調べ、拷問による自白の者については再審判が行われるようになり、今日の日本においては逮捕後の拷問による自白は証拠とはされず、拷問を行った者は逮捕(特別公務員暴行陵虐罪)されるようになっているが、アムネスティ・インターナショナルなど人権擁護団体からその疑いを指摘されることがあり、島田事件など冤罪事件の背景にも、警察による拷問同然の過酷な取り調べがあると指摘される(代用監獄も参照のこと)。

志布志事件では、踏み字などの事実上の「拷問」による事件そのものの捏造が表面化し、捜査員が特別公務員暴行陵虐罪に問われることとなった。ほか、足利事件においては、被疑者を突き飛ばす、身体を蹴る、頭髪を引っぱる、体をつかみ揺さぶるなどの行為を一日あたり十数時間、数日間にかけて密室で行うなど、事実上の「拷問」が現在も代用監獄をもちいた長期間拘留という密室において日常的になされていることが表面化している。

アメリカ

アメリカでは警察が行う取調べの第三段階(Third degree)と呼ばれるものは拷問の代名詞として現代でも通用している。また、米テレビドラマ24 -TWENTY FOUR-のジャック・バウアーに影響された米軍兵士が、駐留するイラクで実際にイラク人に拷問を行っていたことが CNNなどの報道で明らかになった。このため米軍は、24 -TWENTY FOUR-のジョン・カサー監督に作中の拷問シーンの自粛及び啓蒙活動を要請している。要請を受けたジョン・カサー監督は啓蒙ビデオを作製し米軍に提供したと雑誌のインタビューで答えている。ドラマ7作目では、拷問を行った主人公が社会的制裁を受ける場面からスタートする。

さらに詳しく → 拷問  死刑



拷問の歴史 (Truth In Fantasy)拷問の歴史 (Truth In Fantasy)
(2001/08)
高平 鳴海拷問史研究班

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