ブルーインパルスの魅力と役割 & 航空自衛隊最新CM

航空兵器・陸上兵器・海上兵器・銃器・戦争・紛争・歴史・革命・テロ・事件・軍事動画・ニュース(報道)・社会情勢・政治運動・評論・講演など、軍事関連の情報を公開しています。宗教・思想・経済・政治的なものも少しアリ

広告
--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010/03/03(水)
*

ブルーインパルス(Blue Impulse)は航空自衛隊松島基地第4航空団所属のアクロバット(エアロバティック/曲技飛行)チーム。正式な部隊名は第11飛行隊。ニックネームは初期のコールサイン、「ブルー・インパルス」から来ている。初代コールサインは「チェッカー・ブルー」、訓練時は「インパルス・ブルー」を使用。

概要

1958 年、航空自衛隊の戦闘機教官が独断で行った編隊飛行が上官の目に留まったこと、また1959年に行われた米空軍サンダーバーズの日本公演を見た当時の航空幕僚長・源田実が打ち出した構想をきっかけに1960年、浜松・第1航空団第2飛行隊内に空中機動研究班として発足した。その後公募したニックネーム「天竜」を用いたが、この「Tenryu」の「r」の発音に管制上支障が出たため「チェッカー・ブルー」後に「ブルーインパルス」に変更。第4航空団第21飛行隊戦技研究班になるなど何度かの改編が行われた後、現在の正式名は宮城県松島基地に所属する第4航空団第11飛行隊となった。

ブルーインパルスは日本各地で行われる航空祭や民間イベント等に出演し、毎年平均20回程の展示飛行を実施している。

なお、同基地にはパイロット以外のスタッフで結成されたブルーインパルスジュニアも部活動として所属しており、各地の航空祭で展示走行を行っている。

第11飛行隊

第11飛行隊(だい11ひこうたい、JASDF 11th Squadron)は、航空自衛隊航空教育集団第4航空団飛行群に所属する航空自衛隊の飛行隊である。

コールサインは「ブルーインパルス」(Blue Impulse―蒼い衝撃)。航空自衛隊の飛行隊の中で実質上、唯一飛行隊の愛称が公式に発表されている部隊でもある。1994年10月1日、第4航空団に、当時の次期T-4ブルーインパルスとして臨時第11飛行隊を新編。翌年1995年の12月22日に「臨時」が取れ、第11飛行隊として編成された。

ブルーインパルスはこの第11飛行隊としての独立・展示飛行専任部隊化とともに、部隊の1セクションという足かせが外されることとなった。他の部隊並みの人事権が与えられたほか、非常に制限された訓練空域を除けば諸外国の曲技飛行チーム並みの設備が整備されることとなり、松島基地内のアラートハンガー跡地に隊舎、ハンガー、エプロンが設置された。

創造への挑戦

部隊の標語は「創造への挑戦(Challenge for the Creation.)」。これはブルーインパルス史上最長のメンバー歴を誇る塩澤信行2等空佐(2005 年現在)が、T-4準備班長の時代に掲げた言葉であり、今も連綿と受け継がれている。 またT-4ブルーインパルスの歴代飛行隊長は隊を去る際、言葉を残していく慣例がある。初代田中光信隊長「魅」、第2代阿部英彦隊長「爽」、第3代塩澤信行隊長「夢・感動」、第4代渡邉弘隊長は「風」、第5代西村弘文隊長は「墨」、そして第6代倉田裕隊長は「道」である。

歴代運用機

臨時第11飛行隊編成前の歴代運用機は歴代使用機体の項目を参照のこと。

* T-4(1994年~ )戦技研究仕様機のほかに支援用として通常型のT-4を運用している。

歴代使用機体

F-86F 1960年~1981年

初代機体F-86Fは、航空自衛隊創設に当たり、アメリカから供与された当時の主力戦闘機である。東京オリンピックの開会式で五輪の輪、大阪万博開会式で EXPO70 の文字を空に描いたことなどで知られる。22年間に545回の公式展示飛行を行った。

当時は訓練空域が今ほど飛行場から遠くはなく、錬度の確保が行いやすかった。そのため演技の精度は高く、さらに規制も緩やかだったために「草をぶっちぎる」といわれるほど高度が低かった。 このため、背面単独飛行などでは、後方の観客は演技を見られないことがあったほどだった。

主な改修点は機内燃料タンクの発煙油タンクへの転用、スモーク発生装置のエンジンノズル後方への設置。また一部の計器の配置変更や置き換えも行われている。使用しない機関銃の銃口はプラグで封鎖したが、機関銃自体は重心を取るためのバラストとしてそのまま残された。

当初はG制限が緩やかになることから展示飛行やその訓練ではドロップタンクをはずしていたが、燃料タンクの容量不足が問題化し、後に展示飛行でもドロップタンクを装着することとなった。

機体の塗装は、東宝映画『今日もわれ大空にあり』への撮影協力をきっかけに東宝デザイナーが担当することとなったものが良く知られる。それ以前には、一般機とほぼ同じ「無塗装」、部内公募された金属の地肌に青とピンクと白の斜ストライプ・編隊長機のみ金とピンクと白の「旧塗装」、新塗装の原案にあたる「試験塗装」があった。

F-86F時代の使用機体は全機改修にて取得されており、ブルーインパルス向けとして新造された機体は存在しない。 原則として浜松基地に配備されていた機体の中から機銃の命中精度が悪い、オーバーGを経験しておらずアライメントの変化による変な癖を持っていない、などの条件がそろった機体を選び出し改修していた。 使用された計34機のうち、ブルーインパルス所属のまま事故で失われたのは4機。そのうちの一機はブルーインパルスとは関係のない学生訓練中に発生した空中接触事故で失われている。 この34機の中には米軍からの供与機も含まれており、それらの機体は引退後米軍に返還されている。そして無人標的機QF-86Fに改造されてミサイル実験の標的となり、空に散った。

現在02-7966号機と02-7960号機が浜松広報館に保存されている。また、ブルーインパルスに所属した履歴のある12-7995号機が浜松基地北門前にモニュメントとして保存されているが、記入されているシリアルナンバーは既にスクラップとなっている#929号機のものである。 春日基地に保存されている#777号機(82-7777)は、カラーリングを「ブルーインパルス」風に塗装してあるだけで、ブルーインパルスに所属した事はない。 河口湖自動車博物館にも個人収蔵のブルーインパルス塗装02-7960号機が展示されているが、前記の通り本物の02-7960号機は浜松広報館に館内展示されており、河口湖自動車博物館の機体の本来のシリアルナンバーは02-7962である。

T-2 1982年~1995年

2代目機体T-2は、国産初の超音速高等練習機。運用機は戦技研究用機と呼ばれた。 離陸時にアフターバーナーを使用して発煙油に点火する「トーチング」や長い助走を使った力強い演技が売り。5番機による「単独機最大能力旋回」は、その音と動きが特にダイナミックだった。 T-2時代末期の1994年には三沢基地航空祭でアメリカ空軍の「サンダーバーズ」との競演も果たしている。事故による中断も挟み、14年間に175回の公式展示飛行を行った。

超音速機であり翼面荷重が大きく、またエンジン推力が比較的少ないため高機動を行うと速度低下が著しく、課目間のつなぎのための旋回(プロシージャーターン)がF-86F時代に比べてどうしても大きくなってしまうことにより、演技に間延びした感が出てしまうのは致し方ないことだった。この間延び対策のためにF-86F時代の標準だった5機編隊にソロを一機加えた6機編隊へと変更された。

改修点は、アクロバット飛行用に胴体内の第7タンクをスモークオイル用に転用したスモーク発生装置、非力なためフルスロットルでなくともアフターバーナーを使用可能にするパート・スロットル・アフターバーナー(PTA)は右エンジンも使用するとスモークオイルが完全燃焼してしまうため左エンジンのみ使用可能とするスイッチを追加装備、コックピットへの握り手の追加、一部計器の配置や仕様の変更、スモークオイル残量計の追加などである。また初期にはブルー仕様機は、後期型でも通常の前期型同様に機銃の代わりにバラストを搭載していたが、機体を学生教育に使用する際に支障が出たために、のちに機銃を搭載することとなった。

また後期には尾翼にポジションナンバーを書くようになり、T-2を母体として開発されたF-1支援戦闘機からのフィードバックとしてバードストライク対策がなされた一体型風防も装備された。

T-2時代の使用機体は、新造機として取得された#172~177号機のほか、通常のT-2として納入されたものから改修された#111、112、 128、163号機もあった。使用されたのは10機で、1981年に8機受領、のち2機補充。事故により#174、112、172号機の3機を失っている。

解散直後にそのまま退役した#111号機と飛行開発実験団で運用されることとなった#163号機を除き、戦技研究班解散後に入ったIRAN(定期修理)で通常のT-2とほぼ同じ仕様に改修され、単にブルーインパルス塗装のT-2となった。現在、全機退役し、浜松広報館に#111号機、石川県立航空プラザに#163号機、かかみがはら航空宇宙科学博物館に#173号機、宮城県東松島市(旧桃生郡矢本町)JR仙石線鹿妻駅前に#128号機、百里基地に#175号機、青森県立三沢航空科学館に#177号機がそれぞれ展示されている。

T-4 1996年~

3代目機体T-4は、「ドルフィン」の愛称で親しまれる国産中等練習機(そのため、T-4ブルーのパイロットは「ドルフィンライダー」とも呼ばれている)。現在運用している機体で、長野オリンピックの開会式に会場上空にて展示飛行をした。1997年にはアメリカ遠征も行い、サンダーバーズと2度目の競演も果たしている。なお、後記の問題を解決するために、飛行隊の一部門から独立部隊への格上げが行われ、正式な組織名が『第4航空団 第11飛行隊』となっている。

翼面荷重が小さく、エンジン推力比も大きいため「360°ループ」のような高Gの連続課目や「バーティカルキューバンエイト」のような垂直系の高負荷課目が余裕を持って出来るようになった。 運用する機体は、戦技研究仕様機とよばれ、発煙装置とその関連装備、強化型風防をはじめとしたバードストライク対策、低高度警報装置などの他、新たにラダーリミッタの制御プログラムがアクロ専用として変更され、高速域での制限最大作動角を5度から 10度に増大している。このためF-86FやT-2時代と違い原則として通常のT-4で訓練することがなくなった。また、通常のT-4も同様に緊急時は操縦桿のボタン操作により15度まで拡張可能である。

機体性能を生かした高機動課目と日本人らしい緻密さを持ち味にした課目が高い次元で融合し、オリジナル課目として5機で星(☆)の形を描く「スタークロス」がある。T-2以降、機体のカラーデザインは一般公募されており、T-2は(松本零士らによって大胆な変更が加えられたものの)女子高生4人のグループによるデザイン、T-4は斎藤茂太の子でモデラーやF-4のファンとして知られる精神科医の斎藤章二氏によるものが採用されている。

現在までのところ、#720、725~731、745、804、805号機の運用しているT-4は全機新造機として取得されているが、機体の疲労度の再評価プログラムが行われており、今後他の部隊と同じ仕様へと改修を施した上で、機体の入れ替えが行われる可能性もある。なお、2003 年度の防衛予算案でブルーインパルス仕様としてF-2A/B・計11機が計上されたが、時期尚早として却下されている。

アクロバット飛行隊の問題と解決

1960年に誕生した「ブルーインパルス」は発足当初、航空自衛隊のパイロットの絶対数が不足していたなどの事情によって、部隊としてではなく、飛行隊内における飛行戦闘技術の研究開発を行うセクションという現業的な名目で編成され、操縦課程訓練で若いパイロットを育成する教官が展示飛行要員として任務を兼任していた。この形態は1995年の第21飛行隊戦技研究班(T-2ブルーインパルス)解散まで約35年間続く。しかしパイロットの負担が大きく、在任期間が長期化する、など人事面での問題点が多かった。

このためT-4に機種更新する過程において「展示飛行専門の飛行隊を立ち上げ、パイロットの任期を通常の3年に戻す。なおかつ3年間アクロ専任とすることでパイロットの負担を軽減する」措置がとられた。このローテーションは2000年に墜落事故の影響により一時的な変更があったものの、2002年までには元の体制に戻っている。

任期の3年の内訳は簡潔に表すと、次のとおり。

1年目 TR(訓練待機)として演技を修得する。展示飛行時にはナレーションを担当、もしくは後席に搭乗する。
2年目 OR(任務待機)として展示飛行を行う。
3年目 ORとして展示飛行を行いつつ、担当ポジションの教官としてTRメンバーに演技を教育する。

ブルーインパルスへの異動は「本人の希望による異動」と「命令による異動」があるが、たとえ本人の意思に反した異動の場合でも、次の異動が近づくと「もっとアクロバット飛行をやっていたい」と言い、戦闘飛行隊(TAC)復帰後も編隊飛行の技量が著しく向上しているなど操縦技術がさらに磨かれている場合が多いそうである。

さらに詳しく → ブルーインパルス  航空自衛隊  アクロバット(曲技飛行隊)  松島基地


大きな地図で見る



ブルーインパルス2009サポーター’s DVDブルーインパルス2009サポーター’s DVD
(2009/05/01)
航空自衛隊ブルーインパルス

商品詳細を見る
関連記事

タグ : 航空自衛隊 松島基地 アクロバット ブルーインパルス

この記事へのコメント
URL:
Comment:
Pass:   
この記事のトラックバックURL
http://gunjimania.blog108.fc2.com/tb.php/1184-d17a7b9f
 この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

 | Copyright © 軍事マニアクス - Military Maniacs All rights reserved. | 

 / Template by 家族 ペット 自分史 ブログ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。