【チベット-闇に葬られた50年】ケドゥープ・トゥンドゥップ

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2010/02/13(土)
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チベット動乱(チベットどうらん)は、中華人民共和国政府のチベット統治、支配に対し、アムド地方、カム地方における「民主改革」「社会主義改造」の強要をきっかけとして1956年に勃発し、1959 年に頂点に達したチベット人の抗中独立運動のことである。

略歴

チベット動乱

1949年:中華人民共和国設立後の中国共産党政府による支配確立に対するチベット人による抵抗。
1950年:中国人民解放軍がチベットを制圧、全域を自国に併合。
1955年:十七ヶ条協定における「改革は強要しない」地域から除外されたチベット北半部(アムド地方、カム地方東部)における社会主義改造の開始
1956年:チベット北半部における抗中蜂起。

同年、人民解放軍による鎮圧。十七ヶ条協定協定の枠組みのもと、ガンデンポタンの統治下で平穏をたもっていたチベット南半部(西蔵)に、アムド地方、カム地方からの難民や、敗北したゲリラ兵が流入。
同年、チベット高原北半部出身者による統一抗中ゲリラ組織チュシ・ガンドゥク結成、チベット南半部で、ゲリラ活動を展開。

1957年からは東西冷戦構造に組み込まれ、アメリカ合衆国CIAからの訓練や資金、武器の供給を受けるようになる。
中華人民共和国政府、ガンデンポタンにチュシ・ガンドゥクの鎮圧を「命令」。
1959年:中華人民共和国政府、ガンデンポタンに首相ルカンワの解任要求。
1959年:ラサ駐屯の中華人民共和国機関、ダライ・ラマ14世を「観劇に招待」。
1959年:3月ダライ・ラマ14世が中華人民共和国に拉致されることをおそれたラサ市民がノルブリンカ宮を包囲(1959年のチベット蜂起)。ラサ駐屯の中国人民解放軍、市民に解散を要求、さもなくば砲撃すると通告。
ダライ・ラマ14世、ガンデンポタン、チベットを脱出。
中華人民共和国国務院、「西蔵地方政府の廃止」を通告。
ダライ・ラマ14世、インドへの国境越えの直前、チベット臨時政府の樹立を宣言。

その後

1960年:中華人民共和国がチベット南半部における支配をほぼ確立。

チュシ・ガンドゥクが、ネパールのムスタン地方を基地としたゲリラ活動を展開。

1972年:米中の国交樹立により、アメリカ合衆国CIAによるチュシ・ガンドゥク支援中止。
1974年:チュシ・ガンドゥク解体、ゲリラ活動の中止。
2008年:チベットや四川省、青海省において、中華人民共和国に対する抗議運動をきっかけに騒乱が起き、同国政府の治安部隊によるチベット人への催涙弾による鎮圧が行われた(2008年のチベット動乱)。

統計

チベットおよび西側政府

チベット人の一部および西側政府は、彼らの主張によればチベット全域(中央チベットに加え、アムド、カムも含む範囲)最高で120万人のチベット人の失踪をもたらした侵略の後、中国政府の恐怖政治を告発したが、中国は、この主張を強く否定している。

また、1953年におけるチベット公式の国勢調査では、ガンデンポタンが統治する中央チベットの人口は127万人と記録されているが、チベット亡命政府は中央チベットのみで120万人が殺害されたと主張しているわけではない。しかし虐殺被害者「120万」という数字の信憑性については、疑問視している学者もいる。

サムドン・リンポチェおよびダライ・ラマ14世

サムドン・リンポチェ(現チベット亡命政府首相)およびダライ・ラマ14世によれば、1962年には、チベット自治区内の2,500の僧院から、僧侶の93%が追い出され、残された僧院は70だけだという。

1950~1976年の間の侵略および占領の直接的な結果としての死者数は、次のように推定されている。

* 173,221人のチベット人が、刑務所もしくは強制収容所で死亡。
* 156,758人が処刑死。
* 342,970人が餓死。
* 432,705人が戦闘もしくは暴動中に死亡。
* 92,731人が拷問、9002人が自殺により死亡。

2006 年には、この大量虐殺、人道に反する罪、国家テロ、拷問の嫌疑は、スペインの法廷によって取り調べられた。

中国の文献に登場する数値

中華人民共和国刊行の文献には、チベット動乱における地方ごとの個別事例として、兵士や一般民衆に対して相当規模の殺害が生じていたことを述べる記録が多数出版・公刊されている

1. カム地方における「反乱」と「鎮圧」 1956年末に第1次蜂起(中国の区分で四川省に所属する涼山、美姑、西昌、康定、西蔵所属で当時チャムド解放委員会管轄下のギャンダ・ゾン(江達)、芒康)。1957末に「平定」に成功。反乱勢力10万人に人民解放軍6万を動員して「鎮圧」。20,000人殲滅、20,000人逮捕。
2. カム地方における「反乱」と「鎮圧」 1957年-58年。第2次蜂起(バタン(巴塘)、維西、徳欽、中甸)。1958末に「平定」に成功。5,500人を「殲滅」。
3. 「青海省」における「反乱」と「鎮圧」 1958年3月-8月、甘粛から青海にかけての42万平方キロにかけて130,000人が参加する「反乱」、うち110,000人を「殲滅」して平定。
4. 「青海省」におけるチベット人・モンゴル人の遊牧民50,000人(総人口の10%)を逮捕 逮捕者の84%、45,000人が誤認逮捕。拘留中に23,260人が死亡、誤って殺害されたものが173人。宗教・民族分子259人、民族幹部480人が死亡。
5. 中央チベットにおける「殲滅」の規模 1959年3月から62年3月までに死亡・負傷・捕虜を含めて93,000人を殲滅、武器35,500丁、砲70問を鹵獲


さらに詳しく → チベット動乱  チベット侵攻 (1950–1951)  チベット  中華人民共和国


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中国はいかにチベットを侵略したか中国はいかにチベットを侵略したか
(2006/02)
マイケル ダナム

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