戦車とは~歴史編

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2010/02/11(木)
*戦車構造編は → 戦車とは~構造編

戦車(タンク)の語源

イギリスで作られた世界最初の戦車は、当初「水運搬車(Water Carrier)」という秘匿名称が付けられていた。イギリスでは委員会をその頭文字で呼ぶ風習があり、戦車開発のために委員会が設置されたが「W.C.(便所)委員会」では都合が悪い。そこで「T.S.(Tank Supply=水槽供給)委員会」と呼ぶことにした。これにより戦車は「タンク」と呼ばれるようになり、のちに正式名称になった。この語源については「戦車を前線に輸送する際に偽装として『ロシア向け水タンク』と呼称した」など諸説あるものの、以後戦車一般の名称として定着した。

日本においては「war cart」を直訳し「戦車」と呼ばれている。ただし、第二次世界大戦後の自衛隊は攻撃的名称を忌避して、「特車」と呼称していたが、昭和37年1月に従来の「戦車」に戻された。中国語では「戰車」は古代戦車を意味し、近代戦車は tank を音写して「坦克」と呼んでいる。

ドイツ語では Panzerkampfwagen(装甲・戦闘・車輌)の略称として Panzer (パンツァー)が一般的である。本来 Panzer は英語の Armour と同様に中世騎士の金属製の甲冑・鎧を意味するが、現在ではこの意味では Panzer よりも Rüstung という表現が多く使用されている。英語でも Panzer という語は第二次世界大戦のドイツ軍戦車を指す一般名詞と化しており、また日本でも同名の戦車専門誌が発行されている。

制式名称と愛称

戦車の名称は、兵器としての制式名称と、軍や兵士達によって付けられた愛称とに大別される。愛称については配備国により慣例が見られる。アメリカは軍人の名前から(もともとは供与先のイギリス軍による命名)、ドイツは動物の名前、ソ連・ロシアの対空戦車は河川名に因んでいる。イギリスの巡航(Cruiser)戦車や戦後の主力戦車では「C」で始まる単語が付けられている。日本は旧軍では皇紀、自衛隊では西暦からきた制式名で呼ばれ、前者の場合、カテゴリーや開発順を表す秘匿名称(例・チハ…チ=中戦車のハ=いろは順の三番目)もつけられていた。

戦車の歴史

第一次世界大戦時に塹壕戦の突破を目的とした兵器として開発された。戦間期から第二次世界大戦にかけて、武装、重量、装甲厚と機動性などの違いによる多種多様な形態の戦車が登場し、戦場で評価されていった。第二次世界大戦によって機甲部隊による運用方法が確立されてくると、求められる任務の大半をこなせる主力戦車に集約されはじめ、主力戦車では重くて対応できない要求に応じて作られた軽戦車や空挺戦車、水陸両用戦車といったものが最後まで残ったが、それも徐々に姿を消し、21世紀初頭現在では1種類の主力戦車にほとんど統合されている。

第一次世界大戦

近代工業化による内燃機関の発達にあわせて、第一次世界大戦前より各国でのちに戦車と呼ばれる車輌の構想が持たれるようになっていたが、技術的限界から実現されることはなかった。第一次世界大戦で主戦場となったヨーロッパでは大陸を南北に縦断する形で塹壕が数多く掘られたが、初期の装甲車では巧妙に構築された塹壕線、機関銃陣地、有刺鉄線などを突破することが出来なかった。鉄条網と機関銃による防御側の絶対優位により生身で進撃する歩兵の損害は激しく、歩兵と機関銃を敵の塹壕の向こう側に送り込むための装甲車両が求められることとなった。

また第一次世界大戦では敵対する両軍が互いに激しい砲撃の応酬を行った為、両軍陣地間にある無人地帯は土がすき返され、砲弾跡があちらこちらに残る不整地と化して装輪式車両の前進を阻んでいた。これらの閉塞状況を打破するため、歩兵支援用の新兵器の研究が各国で開始された。このとき注目されたのが、1904年に実用化されたばかりのホルトトラクターであった。これはアメリカのホルト社、現在のキャタピラー社が世界で最初に実用化した履帯式のトラックで、前線での資材運搬や牽引に利用されていた。ホルトトラクターを出発点に、イギリス、フランスなどが履帯によって不整地機動性を確保することを図って装軌式装甲車両の開発をスタートさせた。

イギリスでは、飛行場警備などに装甲車を運用していたイギリス海軍航空隊が陸上軍艦(Landship)の提案を行い、1915年3 月、当時海軍大臣であったウィンストン・チャーチルの肝いりにより、海軍設営長官を長とする「陸上軍艦委員会」が設立され、装軌式装甲車の開発が開始された。陸上軍艦委員会による幾つかのプロジェクトののち、フォスター・ダイムラー重砲牽引車なども参考にしつつ、1915年9 月にリトルウィリー(LittleWille)を試作した。リトルウィリー自体は、塹壕などを越える能力が低かったことから実戦には使われなかったが、改良を加えられたマザー(Mother)が1916年1月の公開試験で好成績を残し、マーク I 戦車(Mk.I戦車)の元となった。

Mk. I 戦車Mk. I 戦車

Mk.I戦車が初めて実戦に投入されたのが1916年9月15日、ソンム会戦の中盤での事だった。世界初の実戦参加であったソンム会戦でMK.I戦車は局地的には効果を発揮したものの、歩兵の協力が得られず、またドイツ軍の野戦砲の直接照準射撃を受けて損害を出した。当初想定されていた戦車の運用法では大量の戦車による集団戦を行う予定であったが、このソンムの戦いではイギリス軍が投入できる戦車の数は50輌弱と少なく、結局膠着状態を打破することは出来ずに連合国(協商国)側の戦線が11kmほど前進するにとどまった。

その後、1917年11月20日のカンブレーの戦いでは世界初となる大規模な戦車の投入を行い、 300輌あまりの戦車による攻撃で成功を収めた。その後のドイツ軍の反撃で投入した戦車も半数以上が撃破されたが、戦車の有用性が示された攻撃であった。第一次世界大戦中にフランス、ドイツ等も戦車の実戦投入を行ったものの、全体として戦場の趨勢を動かす存在にはなり得なかった。

発展

初めて「戦車」としての基本形を整えたのは第一次大戦中に登場したフランスのルノーFT-17という軽戦車であった。FT-17は、それまでの車台に箱型の戦闘室を載せる形ではなく、直角に組み合わせた装甲板で車体を構成し、横材となる間仕切りで戦闘室とエンジン室を分離することでエンジンの騒音と熱気から乗員を解放した。小型軽量な車体と幅広の履帯、前方に突き出た誘導輪などによって優れた機動性を備えており、全周旋回砲塔は良好な視界と共に1つの砲で360度の射界を持っていた。FT-17は3,000輛以上生産され、当時もっとも成功した戦車となった。第一次世界大戦後には世界各地に輸出され、輸出先の国々で最初の戦車部隊を構成し、また初期の戦車設計の参考資料となった。

ルノーFT-17ルノーFT-17

第一次世界大戦から第二次世界大戦の間、各国は来るべき戦争での陸戦を研究し、その想定していた戦場と予算にあった戦車を開発することとなった。敗戦国ドイツも、ヴェルサイユ条約により戦車の開発は禁止されたものの、農業トラクターと称してスウェーデンで戦車の開発、研究を行い、また当時の国際社会の外れ者であるソ連と秘密軍事協力協定を結び、赤軍と一緒にヴォルガ河畔のカザンに戦車開発研究センターを設けた。

第一次世界大戦中から第二次世界大戦直前までに開発された戦車は、第一次大戦世界大戦において対歩兵戦闘に機関銃が大いに活躍したことから機関銃を主武装にするものが多く見られた。これは当初、想定された戦場が塹壕戦であったためであるが、第二次世界大戦初期には砲を主武装にした戦車に移行した。

第二次世界大戦

第二次世界大戦中を含め、各国において開発されたものは巡航戦車、歩兵戦車、多砲塔戦車、豆戦車、軽戦車、中戦車、重戦車など多岐にわたった。これは戦車の運用に対する様々な戦術が新たに研究・提案された結果ではあったが、その多くは一長一短があった。第二次世界大戦では、戦術的に、戦車を中心に、それを支援する歩兵、砲兵など諸兵科を統合編成された機甲師団がその威力を証明し、戦車は陸戦における主力兵器としての地位を確立する事となった。

なお、用途に応じた戦車として、偵察戦車、指揮戦車、駆逐戦車、火炎放射戦車、対空戦車、架橋戦車、回収戦車、水陸両用戦車、地雷処理戦車、空挺戦車などが存在した。これらの殆どは、既存の戦車の車体や走行装置を流用して製作された。

戦後・現在

大戦後からは徐々に、戦車には走攻守のバランスが求められるようになり、中戦車をベースにあらゆる敵戦闘車輌を撃破するに足るだけの能力を備えた単一の車種へと集約されはじめ、火砲、装甲厚、車体規模が段階的な増大を経て、やがて21世紀現在の主力戦車へと発展した。また、軽戦車や歩兵戦車などが果たしていた役割を担うための車輌として、歩兵戦闘車のような主力戦車よりも軽量の戦闘車輌が多数生み出された。

大戦後の戦車の開発には、東西の冷戦が大きく影響している。双方で主にヨーロッパにおける地上戦を想定した軍備拡張が行われ、その中心である戦車の能力は相手のそれを上回る事が必須条件であった。そのため、ソ連を中心とする東側諸国が新戦車を開発すると、その脅威に対抗すべく米欧の西側諸国も新戦車を開発するというサイクルが繰り返された。その結果、大きく下記の様に世代分類されている。米ソが直接交戦する事態こそ無かったものの、朝鮮、中東、ベトナムなどでの代理戦争において、双方の戦車が対峙する事となった。

また西側の戦後第一世代の中戦車は90 mm 砲が主装備であり、火力・装甲共に不十分と考えられた事からコンカラーやM103などの重戦車が並行配備されていたが、あまりの重量によりまともに運用できず、その後センチュリオン用に開発されたL7・105 mm 砲が十分な火力を持っていたことから存在意義を失った。

イスラエルとアラブ諸国が争った中東戦争ではしばしば大規模な戦車戦が繰り広げられた。特に1973年10月に勃発した第四次中東戦争ではアラブ側・イスラエル側併せて延べ6,000輌の戦車が投入され、複数の西側製戦車(イギリス製センチュリオンとアメリカ製M48 / M60)とソ連製戦車(T-54 / T-55 / T-62)が正規戦を行った。これは第二次世界大戦のクルスク大戦車戦以来の規模となり、また対戦車ミサイルが初めて大規模に投入されて大きな脅威となった事から、以後の戦車開発に戦訓を与えた。

なお、東側諸国がソ連・ロシア製戦車の調達で統一されていたのに対して、西側においても開発費・調達費削減などの目的で競作や共同開発による戦車の共通化が幾度か試みられたが(レオパルド1とAMX-30の競作、MBT-70の共同開発など)、各国の戦術思想の違いや自国への利益誘導などによる仕様要求の不一致からいずれも失敗に終わっており、主砲などの装備レベルでのデファクト・スタンダードに留まっている。

第1 世代主力戦車

第1世代
M48、T-54/55、61式戦車、センチュリオンなど
90 mm 砲(西側)、100 mm 砲(東側)を搭載し、丸型の鋳造砲塔を持つ。基本的に第二次世界大戦時の戦車の後継、発展型がほとんどである。ジャイロ式砲身安定装置により走行中の射撃も可能である。

M48 パットンM48 パットン

第2 世代主力戦車

第2世代
M60、T-62、T-64、レオパルド1、Strv 103、チーフテン、AMX-30など
西側はイギリス製のロイヤル・オードナンスL7などの105 mm ライフル砲を搭載(チーフテンのみ120 mm 砲)、東側は115 mm 滑腔砲を搭載し、より避弾経始に優れた亀甲型形状の鋳造砲塔と、アクティブ投光器による暗視装置を持ち、夜戦能力を得た。対戦車ミサイルが発達し、随伴歩兵による携帯用対戦車兵器を持つ敵歩兵部隊の掃討がより重要となったことは歩兵戦闘車の開発を加速し、戦車部隊と機械化歩兵部隊がともに行動する戦術がより重視されることとなった。実戦で、歩兵部隊の対戦車ミサイルが大きな威力を発揮したことから「戦車不要論」(機動を防御力とする考え方)が生まれるなど、戦車の防御力が攻撃力に対し立ち遅れていた時代でもあった。

T-62.jpgT-62


第2.5世代

T-72、74式戦車、レオパルド1A1、メルカバ、CM11、96式戦車など
ソ連の新戦車T-72の登場は西側に脅威を与え、 第3世代戦車開発の起爆剤となった。一方、イスラエル初の国産戦車メルカバは中東戦争の教訓と乗員保護重視の思想を反映した独自の設計と、初陣でT-72を破った事で注目を集めた。

メルカバメルカバ

第3 世代主力戦車

第3世代
M1、チャレンジャー1、レオパルド2、T-80、90式戦車、98式戦車、K1など
西側はドイツのラインメタル社製120 mm L44などの滑腔砲を搭載し、複合装甲の導入による平面的なスタイルが特徴。パッシブ型(投光器で光を照射するアクティブ型と違い、敵の発した光を受容する)の暗視装置を持つ。東側は125 mm 滑腔砲を搭載。車体表面に爆発反応装甲を取り付け、対戦車ミサイルに備えており、複合装甲を装着した物もある。

M1エイブラムスM1


第 3.5世代主力戦車

第3.5世代
ルクレール、レオパルド2A5、M1A2、チャレンジャー2、T-84、T-90、メルカバMk.4、99式戦車、K2、TK-Xなど
冷戦終結に伴う軍事的緊張の緩和と軍事費削減、重量の限界などで「第4世代戦車」の登場前に、第3世代戦車のアップグレードによる延命が図られた。モジュール装甲の導入のほか、車間情報システムの搭載によるC4I化が図られている。

ルクレールフランス陸軍の第三及び第三・五世代主力戦車「ルクレール(Leclerc)」


ポスト第3世代

世界的な非対称型戦闘の増加以前は140 mm 級の滑腔砲とそれに耐える装甲が「第4世代戦車」の基準として考えられてきたが、主力戦車同士が直接交戦するような可能性が減少しつつある21世紀現在では、非対称戦(ゲリラ戦)への対応やPKFなどに対応するための緊急展開能力の向上など、戦車に求められる能力が冷戦期のものとは全く異なったものになってきており、第4世代での基準が失われ、代わって最強の戦闘車両は何かという課題が問われている。

現代

戦車は21世紀現在では、過去に生産されて旧式となったものを除けば、ほとんどが「主力戦車」と呼ばれる1つのカテゴリーのものだけであり、他には浮航能力や被空輸性が与えられた水陸両用戦車と、対空射撃能力を備えた対空戦車がわずかに存在するのみとなっている。架橋戦車や回収戦車という名称の車輌も存在するが、攻撃力を備えた戦車ではない。

* 主力戦車
* 水陸両用戦車
* 対空戦車

過去
* 主力戦車 (MBT)
* 水陸両用戦車
* 豆戦車
* 軽戦車
* 空挺戦車
* 中戦車
* 重戦車
* 巡航戦車
* 歩兵戦車
* 多砲塔戦車
* 偵察戦車
* 火炎放射戦車
* 対空戦車
* 駆逐戦車
* 指揮戦車
* その他の戦車

さらに詳しく → 戦車
戦車構造編 → 戦車とは~構造編



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(2006/04/13)
田村 尚也

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