F-117 ナイトホーク (Lockheed F-117 Nighthawk)

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2010/02/09(火)
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F-117はアメリカ合衆国が開発したステルス攻撃機である。愛称はナイトホークNighthawk)。

概要

世界初の実用的なステルス機として1981年に初飛行を行った、アメリカ空軍の攻撃機である。レーダーから発見されにくくするため、平面で構成された独特の多面体の機体形状をしている。これにより空気力学的に不安定な形状となっているが、フライ・バイ・ワイヤによって操縦安定性の確保を行っている。1982年に部隊配備が始まり、1988年11月に国防総省が発表した不鮮明な写真によって初めて公に存在が示される。主に夜間作戦に使用され機体表面の塗装も真っ黒なことから、愛称は「ナイトホーク」(アメリカヨタカ)と名付けられた。また、初の本格的なステルス機である事と特徴的なデザインから、現在でもステルスといえばこの機を連想する者が少なくない。

1983 年に実戦配備がスタートし、1990年までに全59機の配備が完了した。しかしその運用・維持コストの高さから2008年4 月22日をもって全機が退役した。攻撃機として主に重要施設への空爆を任務としており、湾岸戦争をはじめいくつかの実戦で使用された。撃墜されたのはコソボ紛争における1機のみである。1機当たりの価格は約4500万ドル(2006年上半期)。技術流出を防ぐ為、輸出は一切行われなかった。

歴史

1970年代中期、国防高等研究計画局(DARPA)は、アメリカ国内の航空機メーカー5社に対しステルス戦闘機形態の研究契約を締結した。当初ロッキード社は、1960年代以降戦闘機の開発経験が皆無であったことを理由に参入を見送られていたが、同社のスカンクワークス部長ベン・リッチの主導のもと自主開発研究を行い、国防高等研究計画局に働きかけ追加参入を成功させた。

1975年8月にノースロップおよびロッキード社が招聘(しょうへい)され、XST: Experimental Survivable Testbedのプランが提示された。これに応じてロッキード社スカンクワークスのトップであったディック・シーラーは電磁気学のスペシャリストのデニス・オーバーホルザーに“見えない戦闘機”の開発が可能であるかどうか打診。オーバーホルザーは可能であるとの見解を示し、コードネーム「Echo1」と言われるレーダー波の物体表面での反射を計算するソフトウェアを作り上げ、引退していたスカンクワークスの数学者であったビル・シュローダーからのアドバイスと、50年前のソビエト連邦でピョートル・ユフィンチェフによって発表されていた電磁波の進行方向を反射面の形状から予測する論文を基にプロトタイプ機を開発した。

ノースロップおよびロッキード両社のプロトタイプは小型の単座式であった点は共通だったが外観は大きく異なり、ノースロップ社の物はレーダー波反射面積の極小化させるために丸みを帯びた形状で、当時からサンディエゴのシーパークで有名だったシャチに似ている事からShamuとあだ名されたのに対し、ロッキード社の物は当初からレーダーを特定方向にのみ反射させる為に角張った形状を持っていた。軍配はロッキードに上がり、1976年の4月から開発が開始された。

開発時の考慮事項

ロッキード社によれば、F-117を開発する際に以下の点が考慮された。

1. 目視による発見
2. レーダーによる探知
3. 飛行時の騒音
4. 自身からの電波放射
5. 赤外線による探知
6. 排気ガスや飛行機雲やボルテックスによる発見

ステルス性能を語るとき2.と5.が注目されがちだが、他の性能も必要である。1.に関しては機体を黒色に塗り夜間のみ飛行する、4.に関してはレーダーを搭載せず、離陸後は無線交信も行なわない、6.に関しては高湿度環境(つまり雨天)では飛行しない、といったものである。なお、F-117を昼間作戦に投入する実験として灰色迷彩に塗装した"デイホーク"による試験飛行も行われたが、結局運用コストに見合うだけの成果を得られず、全機退役への道を歩むこととなった。

ハブ・ブルー

試作機の開発には、国防高等研究計画局の予算から約3,000万ドルが支出された。無論、この予算はその性格上、公にする必要がないものであった。試作機には「ハブ・ブルー(Have Blue)」というコードネームが与えられ、飛行テストはT-2Bバックアイのゼネラル・エレクトリック社製のJ85-GE-4Aエンジンを転用した。

最初の飛行空力実験機HB1001(1号機)は、J85-GE-4Aエンジンの排気口からの赤外線放射を最小にする事に主眼を置いて設計された。細長い形状を持っていたが、全体的に細身で大きさが量産機の約60%の縮小モデルであったため重量は4173~5669Kgと爆撃機としては軽く、F-5フリーダム・ファイターの着陸用ギアやF-16のFBWが転用されていた。また、垂直尾翼が内側を向く等、量産型とは形状がやや異なる。これら部品の流用により、試作機2機に要した予算は3,700万ドルに抑えられたという。

ハブ・ブルーのスペックは以下の通り。

* 全長:38ft(約11.6m)
* 全幅:22ft(約6.7m)
* 主翼前縁後退角:72.5度(F-117は67.5度)
* 総重量:約12,000ポンド(5,433kg)級
* 乗員:1名

飛行試験と試作機の損失

1977年11月4日に、ロッキード社のバーバンクの施設で最初のエンジンテストが行われた。その後も空港が閉鎖された真夜中に限定した上で、カモフラージュ用のネットがかぶせられて実験が繰り返された。近隣からはそのノイズによる苦情があったが機密は保持され、後にネバダのグルーム湖にその場は移された。

契約締結からわずか20ヶ月しか経っていない1977年12月1日に初飛行テストが敢行される。35回のテスト飛行が無事行われたが、1978年5 月6日に行われた36回目のテストで着陸に失敗。右主脚が途中まで引き込み、ロックができないと判断されたため、高度3,000mまで上昇したのち燃料を完全に消費しパイロットは脱出した。エンジンが停止したHB1001は、背面姿勢のまま地上に落下し大破した。また、パイロットのビル・パークは射出座席が分離せず重傷を負い、引退を余儀なくされた。

事故前から製作が始まっていた2機目のHB1002が、1978年7月20日(同年3月から4月には既に初飛行を行ったとの説あり)に初飛行し、試験飛行を引き継いだ。後に52回の飛行が行われたが53回目の飛行中に油圧系統の故障によりエンジンから発火、炎上した。この2機の破損した実験機は極秘裏に処分され、F-117およびB-2と言ったステルス機が公開されるようになった現在でもトップシークレット扱いで、わずかに公開された写真を除きその詳細は不明のままである。

両機とも失われたハブ・ブルーであったが、飛行試験中はアメリカ空軍が誇る早期警戒管制機E-3ですら極めて近距離での状況以外、探知はできなかった等、ステルス機としての性能を見せつけた。

1978年11月、アメリカ議会は極秘に実用型ステルス戦闘機の開発を承認、本格的な開発に移行した。

F-117の誕生

実用機であるF-117の初飛行は、1981年6月18日にグルームレイクで行われた。ロッキード社はF-117を、カリフォルニア州パームデールのスカンクワークスがアメリカ空軍工場42号(ロッキード工場10号)で製作した後、極秘にグルームレイクに輸送、組み立てを行っている。

機体の形状は、レーダー波を特定方向に反射させる反射角を持たせるためひし形になっている。当時のコンピュータの能力では曲面のシミュレートは事実上無理があり、シミュレーションが容易な角ばった機体となった。航空力学的には飛行に不向きな形状であるため、飛行姿勢は4重に管理されたデジタル・フライ・バイ・ワイヤによりコンピュータ制御されている。逆にいえば、コンピュータの支援があってこそ飛べる機体といえる。

直線基調の機体であり最初に公表された1枚きりの写真が機体各部の角度を読み取りにくい方向から撮影されていたため、それを元に作成された非公式な三面図は、実機とはかなり違う寸詰まりなものとなっていた。のちに正式な三面図が発表されて、やっとその間違いに気付くほど、当時は情報公開が少なかった。

部隊編成

F-117の実機が完成してすらいなかった1980年(81年説あり)から、既にアメリカ空軍は戦術航空軍団直轄部隊としてトノパー実験場(Tonopah Test Range::TTR)にステルス戦闘機部隊「第4450戦術群(the 4450th Tactical Group)」を編成している。この第4450戦術群の下に第4450戦術戦闘飛行隊を編成し、F-117の随伴機A-7D攻撃機を配置した。

当初はF-16の配置が予定されたが、機体価格の高さからA-7Dに決定された。これは同時に、まだステルス機の存在が秘密であった初期のころは第4450戦術部隊を"A-7飛行隊"として秘匿することにも役立った。カモフラージュとして用いられたA-7Dは後により安い経費で維持可能なT-38タロンに置き換えられたが、転換訓練を行なうパイロットはA-7Dで慣熟飛行を行っていた。

最初のF-117の配属が決定したのは1982年5月であり、ジェームス S. アレン大佐が指揮を執る事となった。大佐は1983年8月23日の部隊によるF-117の初飛行も自身で行っている。部隊は1983年10月28日に稼働したが、十分なF-117はまだ配備されていなかった。このためパイロットの飛行時間を維持する事が課題となり、飛行特性が似ていると言われるA-7Dを使ってパイロットの飛行時間を延ばした。

公となったステルス機

1988年1月、アメリカ軍事月刊誌「アームド・フォーセズ・ジャーナル」が、それまで伝えられていたステルス戦闘機F-19は存在せず、F-117というステルス機が極秘で配備されているというスクープを行った。このスクープを受けたアメリカ国防総省は、いつまでも秘匿としておく事が難しいと判断し、同年11月10日にF-117の存在を公的にはじめて発表した。 この時明らかにされた項目は以下の通り。

* アメリカ空軍とロッキード社による開発で、F-117はすでに実用段階となり昼間飛行を行う段階に達したこと
* 開発計画は、1978年に開始されたこと
* 初飛行日時と1983年に初期運用段階に達したこと
* この計画は終始、アメリカ議会委員会の特に超党派から支持を受けたこと
* 機体はV字型尾翼を有する双発機であること
* 59機の発注がなされ、すでに52機が納入済み
* トノパー基地の第4450戦術群に配備され、運用段階に移行していること
* 第4450戦術群には練習機としてA-7Dが20機配備・使用されていること
* 過去に2機が墜落し、乗員2名が死亡していること

この乏しい内容に記者たちは質問を浴びせたが、国防総省の報道官は「ノーコメント」を連発している。回答を拒否した項目は以下の通りであった。

* 下請け会社・エンジンメーカー
* 搭載兵装・搭載電子機器
* 第4450戦術群の任務内容
* 複座型の有無
* 外国での作戦参加の有無

下請け会社を秘匿としたのは、そこから情報が漏れる事を危惧したためとされる。また、戦術戦闘機という抽象的な任務しか公表していないため、搭載兵装や部隊の任務等は当然ながら極秘とされた。

参加作戦

* 実戦初参加は1989年12月19日に行われたオペレーション『Just Cause』の支援である。当初この作戦はパナマで一大麻薬組織と結託する独裁者マニュエル・ノリエガの誘拐であり、2機のF-117が参加したが途中で作戦目標がリオ・ハトのパナマ防衛軍(PDF: Panamanian Defence Force)を混乱させることに変更され、バックアップのために急遽別の2機が作戦に参加。最終的に更に2機が追加され、合計6機が作戦に加わった。この編隊はネバダのトノパーから出撃し、5回の空中給油を受けて目標へ飛行、2000-lb GBU-27A/BおよびBLU-109B/I-2000を投下したが目標の兵舎から数百フィートも外れて着弾し、作戦は後に議会から失敗だったと叩かれた。なお、このとき最初の爆弾投下を行ったのはグレッグ・フィースト少佐で、後に『砂漠の嵐』作戦に参加しイラクでの爆撃も行っている。

* F-117が一躍有名となったのは1991年の湾岸戦争の際である。爆弾が命中するシーンの映像などが連日テレビで流されハイテク戦争を印象付けた戦争ではあったが、実際にはF-117以外の一般の部隊はコストの問題から誘導爆弾が使われた比率は少なく、ほとんどは無誘導爆弾が使われた。一方、F-117の部隊においては終始GBU-27誘導爆弾を使用している。湾岸戦争では44機が参加。42日間、合計1271ソーティの爆撃を遂行し、1機も被害を出さなかった。

唯一の被撃墜例

コソボ空爆において、1999年3月27日にセルビアの首都ベオグラード近郊上空[6]で第49戦闘航空団に所属する1機、コールサイン「ヴェガ31」、シリアルナンバー「82-0806」(1982年度会計発注の22号機)が撃墜されている。同機は、1984年8月20日に進空して同年9月12日に空軍へ引き渡されており、湾岸戦争では第415戦術戦闘飛行隊に所属し39回出撃している。撃墜時、パイロットは緊急脱出し、数時間後に救助されている。同機のキャノピーのフレームには「ケン・"ウィズ"・デュエル大尉」と記載されているが、同パイロットは当時除隊を控えているためアメリカ本土に居た。当初はパイロットの名前、階級は公表されなかったが、デイル・ゼルコ大尉(当時。2007年時中佐)が当日操縦していたことが明らかになっている。

撃墜された理由は米国防総省からも米空軍からも公表されていない。当初は赤外線追跡装置を装備するユーゴスラビア空軍のMiG-29B戦闘機によって捕捉され撃墜されたと発表されたが、ストレラ2携帯式地対空赤外線誘導ミサイルで撃墜された、ZRK-SDによって撃墜された、ユーゴ空軍のMiG-21によって偶然発見され撃墜された、味方の誤射により撃墜された、レーダー火器管制されていない手動の機関砲で撃墜された、ミサイルを目視で誘導し撃墜した、地元民の猟銃で落とされた、湿気によるステルス性の低下で爆弾倉開閉時に古いソ連製のレーダーで探知された[要出典]など諸説ある。しかし、F-117の弱点を明らかにしたくないアメリカと、対米関係を考慮したユーゴスラヴィア(現セルビア)双方から発表がないため、事実は明らかになっていない。

『軍事研究』誌ではユーゴ軍によるSA-3ゴア地対空ミサイルによって撃墜されたとしている。『JWings』誌では、毎日同じ時間帯に同じルートを飛行したために、セルビア軍に離脱コースを推定されてしまい、それに合わせて設置された地対空ミサイルをパッシブ・ホーミングで発射され撃墜された、原始的に爆音がする方向にミサイルを発射し撃墜した、時速800キロメートルで移動する昆虫ほどの大きさの飛行物体をレーダー上に補足、追跡し撃墜した、などの説を掲載している。『航空ファン』誌と読売新聞では、ダニ・ゾルダン中佐(当時。退役時大佐)指揮下のセルビア防空軍第250防空ミサイル旅団が撃墜したという説を掲載している。なお、ダニ・ゾルダン中佐は大学で電子工学を学んでいたので、独自にSA-3のレーダーの送受信機を改良し、より低い周波数の使用を可能にすることで索敵能力を上げていたのだという。

セルビアの山中に墜落した機体の残骸は、ベオグラードの航空博物館に展示されている。一部の破片は裏取引によってロシアに回収され、対ステルス用の地対空ミサイルが開発されたとの情報がある。

退役

高いステルス性を持つF-22 ラプター、B-2 スピリットに加え、F-35 ライトニング IIも将来配備される予定であることと、F-117のステルス能力の維持費用が高くつくことから、2008年4月22日をもって全機が退役した。退役後はアリゾナ州にあるトノパ実験場で保管され、必要が生じれば復帰することもあるという。また、機密情報を保持したまま解体する最適な方法を探るため、2008年8月26日に1機が同実験場で解体実験に供された。

特徴

F-117は敵のレーダーに発見されにくいステルス技術を全面的に取り入れた世界初の航空機であり、従来の航空機のイメージを覆す多面体の形状をしているのが特徴である。 レーダーや赤外線等では出来るだけ敵に発見されないように以下の対策が施されている。

レーダー対策

敵レーダー波を飛来方向に反射させないために、いくつかの工夫が行なわれている。

形状制御
敵レーダーに発見されにくくするために多面体の形状をしている。機体全体は平たいエイのような形で機体下面はほぼ1枚の平面で構成されている。操縦席やエンジンを含めた機体中央部は多角形状に上方に膨らんでいる。これはステルス技術の形状制御から生まれた形であり、レーダー入射波を散乱及び後方背面波とすることによってレーダー断面積(RCS)を下げる機体形状となっている。機体表面から突起物を可能な限り減らしたり、エンジンの吸入効率を下げてまでエア・インテークに電波の侵入を防ぐ金属製グリッドを装着して内部の多様な反射面の露出を抑えている。

兵装の機内搭載
形状制御の一環として、兵装は機体下部2箇所の兵器倉に収納する。基本的には2000lbの通常爆弾、もしくはレーザー誘導爆弾を各兵器倉に1発ずつ搭載するが、他の爆弾の搭載も可能。他、AGM-65空対地ミサイルやAGM-158巡航ミサイル、AGM-88対レーダーミサイルやAIM-9L空対空ミサイル等も運用出来るとされる。

RAM
機体表面はRAM(Radar Absorbent Material)と呼ばれるレーダー波を吸収する材料であるグラファイト/エポキシ複合剤で覆われており、機体内部にも電波反射の少ない非金属素材が使用されている。

キャノピー
コクピット内部にレーダー波が入り込むことを防ぐ目的からキャノピーにも様々な工夫が施されている。
いかにステルスを重視した形状であってもパイロットが乗り込み様々な機器が配置されているコクピットは、レーダー波が飛び込むと乱反射を繰り返した挙句に不用意な方向へそれを返してしまいかねない。そこでF-117では機体の延長線にそって曲面を廃した板状のキャノピーを採用し、また金の蒸着コーティングを施すことで意図した方向へとレーダー波を逸らすように設計されている。

これらの工夫によって高いステルス性能を獲得できた一方で、ステルス性を最重視した機体形状は空力学的に優れた形状とは言えず、最高巡航速度もF-4等の主力戦闘機と比べて劣る。電子化された機体姿勢制御のフライ・バイ・ワイヤ技術は操縦者の命令を解釈しながら同時に毎秒数十回の頻度で機体姿勢を調整・補正しており、安定した飛行を可能としている。

赤外線対策

F-117ではレーダー以外のセンサーに対するステルス性も考慮されている。例えばGE製F404ターボファン・ジェット・エンジンはアフターバーナー非搭載モデルを使用し、排気口を機体上面に設けるなど出来るだけ赤外線によって発見される危険を減らす工夫を行なっている。

レーダー能力の放棄

使用していない間でも外部からの電波をよく反射させ、使用すれば敵のレーダー警戒装置(RWR)によって探知される危険が高い為に、F-117ではあえて機上レーダーを搭載せず、目標の探知や捕捉等には、機体下面の前脚部にある目標指示用のレーザー目標指示装置や機首最前部にあるFLIR(前方監視赤外線装置)、機首下にある引き込み式のDLIR(下方監視赤外線装置)等を使用している。

夜間飛行専用

機体が黒いのは夜間に飛行することで人の肉眼での視認も避けるよう、夜間飛行に特化した塗装が行なわれているためである。 また先述のように、2003年には試験的だがガルグレイ主体の昼間ロービジ塗装を施したこともあり、それらの機体は一部で俗に「Dayhawk」(昼の鷹)と呼ばれた。

仕様

* 全長:19.4m
* 全幅:13.2m
* 全高:3.9m
* 最高速度:M0.85
* 航続距離:1,200km(空中給油可能)
* エンジン:F404-GE-F1D2 ×2基
* 推力:4,900kg
* 空虚重量:13,380kg
* 最大離陸重量:23,625kg
* ペイロード:約2t
* 乗員:1名
* 製造単価:約3,800万ドル

さらに詳しく → F-117 Nighthawk  ステルス



ロッキードF-117ナイトホーク (世界の傑作機SPECIAL EDITION (Vol.2))ロッキードF-117ナイトホーク (世界の傑作機SPECIAL EDITION (Vol.2))
(2003/12)
不明

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